押井守が分析する、ロバート・アルドリッチ監督の一貫した作家性「みんなアツくなる、人生訓そのもの」【押井守連載「勝手にジャンル。」第2回後編】
「日本のスポ根の場合は『コーチ映画』が生まれにくい」
――押井さんはアルドリッチ作品のなかでもっとも好きなのは?
「うーん…なにかなあ…遺作の『カリフォルニア・ドールズ』(81)はちょっとユルいところがあるし…やっぱり『燃える戦場』(70)かなあ」
――えっ!マイケル・ケイン主演のあのユルい戦争映画ですか?『カリフォルニア・ドールズ』をユルいというなら『燃える戦場』はユルユルだと思いましたが…。一応、高倉健のハリウッドデビュー作ですね」
「描写というレベルで言うと確かにユルい。でも、中身はまるでユルくない。第二次大戦末期の某島のジャングルで、イギリス兵とアメリカ兵の混合部隊の使命はジャングル深くにある日本軍の無線通信所の破壊。ただし、その兵士、とりわけマイケル・ケイン演じるイギリス人兵士の本当の目的は『絶対に生きて帰ること』。これがアルドリッチなんです。『プライベート・ライアン』のように命令遂行のためには死をいとわないとは違うの。戦死するのはダメ。生きて帰ることこそが重要なんです。それが目的になれば戦術は大切。日本兵の高倉健を殺すのは目的じゃなくて手段だから。その結果として、ケインたちは誰にもまねできない戦術を駆使して帰還するんです。アルドリッチらしさが詰め込まれた、これは人生訓そのもの。だから『コーチ映画』なんです」
――そんなに熱弁されると、もう一度観て観ようかという気持ちになりました。
「アメリカにコーチ映画が多いのは歴史的な背景もある。ハリウッドには最初から、国家を統合しなきゃいけないという使命があった。なぜかといえば、アメリカは多民族国家だし、“United States”が意味する独立した主権をもつ各州が一つにまとめられた連邦国家だからだよ。ハリウッドには、生まれた時から指導者としての役割があったということです。要するに国民を教育するんだよね。だからコーチ映画がたくさん作られることになった。
一方、ヨーロッパ映画の場合は個人の自由から出発するのでそんな映画はあまり作られない。そもそも階級社会だからコーチ映画は生まれないんです。では、日本の場合はどうか?日本においては映画が大衆娯楽だったので、日本人の好きそうな母子もの等のお涙頂戴系が量産された。それに、コーチ映画系になると大体は根性ものになっちゃう。『巨人の星』がそのいい例。スポ根ものですよ。アメリカの場合はあくまで職業の一つで、そのなかでいかにして自分のポリシーを打ち出すか。これがテーマ。だから別に優勝しなくったっていいんです」
――確かに日本のスポ根の場合、優勝を目指すものが多いですね。
「私が昔やっていた『一発勘太くん』もたとえ少年たちの草野球であっても最後は全国大会まで行かなきゃいけない。『アタックNo.1』もそうだったでしょ。世界選手権での優勝、No.1になることだよ。
もう一つ、日本のスポ根の場合は自分の果たせなかった夢を子どもに託す系が多く、他人が他人を指導するというスタイルは稀。そういう意味で日本でコーチ映画は生まれにくいよね」
取材・文/渡辺麻紀
