押井守監督、新連載テーマは“ジャンル”を作ること!?「私には私のジャンルがある」【押井守連載「勝手にジャンル。」プロローグ】
映画監督、押井守が“映画の裏切り”を紐解いた「裏切り映画の愉しみ方」に続く、待望の新連載が8月よりスタート!今回の連載テーマとなるのは、映画を観るうえで指標の一つとなる“ジャンル”。「ホラー」や「SF」など一般に周知されているジャンルではなく、押井監督が独自の目線で“新しいジャンル”をつくり、さらなる映画の愉しみ方を追求してく連載となります。
来月の連載スタートを前に、今回は押井監督が連載テーマを“ジャンル”とした理由を語る「勝手にジャンル。」プロローグをお届けします。押井監督曰く、「これまでやってきた映画にまつわる本や連載の集大成になるかもしれない」とのこと?
「“ジャンル”自体は映画の内容に即していないから、実は映画を語るためにはかなり不適切」
――押井さんの新連載が始まります。題して「勝手にジャンル。」。映画を語る時や選ぶ時、必ずと言っていいほど用いられる“ジャンル”についての押井さん流の考察です。アクション映画、恋愛映画、青春映画…そういういつものジャンル分けは本当に機能しているのか?ちゃんと映画の本質を伝えているのか?実はジャンルは違う考え方、独自の分類ができるのではではないか?そういうことを考察してみたいということですね?、押井さん。
「簡単に言っちゃえばね。私が考えている“ジャンル”というのは便宜上つくられたもので、あらゆる分野で活用されている。映画に関して言えば、その作品を語るうえで大変重宝するから常に使われている。アクション映画、ホラー映画といえば一発でどんな作品かわかるし手っ取り早いでしょ?情報を受け取るほうも、『そうか、ホラーなら観ようかな』ということになる。もしその映画がラブストーリーとジャンル分けされていたら、彼は観に行かないわけだから。
じゃあ、このジャンル分けになにか基準があるかと言えば、まったくありません。ほとんどが恣意的に使われていて、だからこそ汎用性があるわけなんだけど、かなり曖昧なわけです。例えばアクションというジャンル。そのなかにはハード・アクションはあるものの、ソフト・アクションはない。ということはこの“ハード”は修飾語に過ぎず、その映画の本質を伝えているわけではない。
なにが言いたいかといえば、初っ端から便宜上つくられた“ジャンル”は、映画を語るためには実はかなり不適切だということ。型は必要ですよ。まったく型がない映画なんて存在しないから。でも、ジャンルは曖昧です。なぜなら内容に則してないから。だったら、ちゃんと内容に則したジャンルをつくればいいのでは?そう思うに至ったわけなんです、私は。内容に則したジャンルが必ずあるはずなんだけど、それは人によって、映画の観方によって変わる。つまり、私には私のジャンルがあるということになる」
――ということは、押井さんが押井さんの観方で新しいジャンルをつくるわけですね?
「そうです。例えば、私の本の分類。本棚に並べる時、『SF』『評論』『歴史』みたいに並べるんじゃなく、『イヌ』『トリ』『サカナ』で並べていたことがあったけど、そういうふうに分けたほうが私にはわかりやすいから。現代的に言えば“タグ付け”をどうするか。この言い方が一番わかりやすいんじゃないかな」
――タグ付け、確かに多用されてます。
「とりわけ映画にタグはマストなんだよ。なぜなら映画を観ている時に引用するから。私たちの映画を観るという行為は実は、“引用する”という行為を同時並行でやっているんです。超高速で検索し引用し比較するのが映画鑑賞の中身なの。その映画を単独で観ることは厳密にいうと、ありません。誰もがかつて観た映画と比較しながら観ている。役者を比べることもあれば原作の場合もあり、物語を検索することもある。いろんなレベルで検索をかけている。そういう時に必要になるのが引っ張り出しやすいタグ。タグがたくさんあればあるほど、整理されていればされているほど検索しやすくなる。
私のように映画監督が職業になるとタグは不可欠だよね。アクション映画やSF映画と適当にタグ付けをしていると、まるで役に立たない。もっと細かくちゃんと分けなきゃいけない。この連載では私ならではのジャンルを紹介するわけだけど、汎用性もあれば実践的でもあると思っていますよ」
