押井守が分析する、ロバート・アルドリッチ監督の一貫した作家性「みんなアツくなる、人生訓そのもの」【押井守連載「勝手にジャンル。」第2回後編】
映画を観るうえで指標の一つとなる“ジャンル”。押井守連載「勝手にジャンル。」では、押井監督が「ホラー」や「SF」など一般に周知されているジャンルではなく、独自の目線で“新しいジャンル”をつくり、さらなる映画の愉しみ方を追求していきます。
今回の連載では、一つの新ジャンルにつき連載3回分、代表的な作品を例に挙げつつ押井監督が解説していく形式となっています。第2回後編では「コーチ映画」について、前編に引き続き『北国の帝王』(73)を取り上げ、アメリカで「コーチ映画」が多い理由や、日本のスポ根ものとの違いなどを語っていきます。
「アルドリッチの映画はすべての作品に一貫性がある」
――今回は『北国の帝王』の後編です。押井さんの大好きな監督ロバート・アルドリッチの作品ですが、彼の撮った映画はほぼ「コーチ映画」。しかも私たち観客をコーチしてくれるとおっしゃっています。
「そうです。アルドリッチは夢物語を語らない。『北国の帝王』でも語っているのはホーボーという世界で“帝王”になることでしょ。限られた世界で勝つということがアルドリッチ流のリアルなんです。しかも彼が描く男たちは自分の目的意識以外に動機のない者たち。いうなればエゴイストばかりなの。『ロンゲスト・ヤード』(74)では刑務所に収監された元花形アメフトプレイヤーのバート・レイノルズが看守チームに勝つことに情熱を燃やすじゃないの。お前らが勝ったら刑期を伸ばしてやるなんて脅迫されても勝つことを選ぶ。『飛べ!フェニックス』(65)では飛行機が不時着した砂漠から生還するという共通の目的があって、鼻もちならないドイツ人とも組む。自分のことしか考えない人間だからこそ隣の人間と手を組めるものなんです。第二次大戦を舞台にした『特攻大作戦』(67)もそう。限りなく成功率の低いミッションにならず者12人で組織した分隊を投入するわけだけど、共通の目的さえあればエゴイスト同士が手を組めることを描いている。そういうヤバい連中が紡ぐ信頼関係だから普通のそれよりもアツくなっちゃうんですよ」
――わかります!『特攻大作戦』、アメリカの監督大好きですよね。ジョー・ダンテも『スモール・ソルジャーズ』(98)でやっていたし、ジェームズ・ガンの『ガーディアン・オブ・ギャラクシー』(14)は宇宙の『特攻大作戦』だったし『ザ・スーサイド・スクワッド“極”悪党、結集』(21)もそう。ガン自身、「めちゃくちゃ好き!」と言っていましたから。
「そうです。みんなアツくなっちゃうんです。
やっぱり、アルドリッチの映画って1本語ることでは終わらないの。すべての作品に一貫性があって、それは『攻撃』(56)のころから変わってない。微妙に立場を変えながら共通のテーマを探っていた監督だよね。では、その根源はどこにあるかといえば赤狩りですよ。彼は当時、進歩的なインディペンデントのプロダクションに所属していて、そこで(チャールズ・)チャップリンやジョゼフ・ロージー等の作品で助監督をしていた。彼らは赤狩りで海外追放されたり亡命したりした映画人で、そういう姿を間近で見ていたんですよ。自身の長編デビュー作でもハリウッドから干されていた役者を起用したんじゃなかった?」
――調べてみたら、それは『ビッグ・リーガー』(53)という映画でエドワード・G・ロビンソンですね。周囲の反対を押し切っての起用だったと書かれています。ダルトン・トランボにも『ガン・ファイター』(61)という西部劇で脚本を依頼しています。アルドリッチ、撮る映画と同じでめちゃかっこいい!
「そうです、だからアルドリッチはかっこいいんです。彼の映画には赤狩りのなかで裏切ったり、仲間を売ったり、刑務所に入れられたり、国外追放になったり、亡命したり…そういう映画人の姿を見てきた経験がすべて反映されている。必ず裏切り者が出てくる。でも、それをただ責めるだけじゃなく、一つの生き抜く方法として描いている。そこがいい」
