『バックルームズ』ケイン・パーソンズ監督に問う“映画”との距離、生い立ちからひも解くアイデアの源【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】
「自分が恐れているのは、あなたがいつか『映画なんて作ってもおもしろくない』と言って、ほかのジャンルに行ってしまうことです」(宇野)
――今後、長編映画の監督としての仕事はあなたのすべての仕事のうちで何%くらいを占めていくことになりそうですか?
ケイン「今回の映画制作は本当にやりがいを感じましたし、僕にとって初めて長編映画というフォーマットに向き合う機会になりました。長編映画は、特定の種類の体験を届けるのにはとても向いていると思います。ただ、なにかアイデアが浮かぶたびに毎回長編映画に戻ってきたいかというと、そういうわけではありません。現在温めているアイデアの多くは――むしろ大半と言っていいかもしれませんが――テレビシリーズやウェブシリーズのような、連続したシリーズ形式のフォーマットのほうが合っていると感じるものが多いんです。きっと自分は、一つのアイデアに対して(長編映画の標準的な時間である)90分以上の時間をじっくりとかけたいタイプなんだと思います。もちろん今回の『バックルームズ』のように、長編映画向きのアイデアもいくつか存在します。時間的に120分以内でコンパクトにまとまっているからこそ、観客や視聴者にとって消化しやすい題材もあって、映画には映画のよさというものも確実にあると思いますが、すべてはアイデア次第ですね。今後の数年間はゲーム関連の仕事にも挑戦したいと思っていますし、企画開発を進めているテレビシリーズのプロジェクトもいくつかあるので、しばらくはそれらを巡っていくことになると思います」
――例えば今年の作品だと『オデュッセイア』のような3時間前後ある作品を、あなた自身は映画館に行って観ることはありますか?あるいは、そこにハードルを感じたりしますか?
ケイン「作品の長さに対する抵抗感はありませんが、そもそも僕はあまり頻繁に映画館には行かないんです。行けば必ず楽しめるんですが、映画を観ること全般に対して同じ課題を抱えていて。なんて言ったらいいのか(苦笑)…映画を観てリラックスしていると、いつも頭のなかで『自分の仕事をするべきなんじゃないか』という声が聞こえてくるような感覚があるんです。その心の声に耳を傾けすぎて、結果的にあまり長編映画を観られないようになってしまいました。ただ、長さということに関して言えば、個人的には長い映画のほうが好きです。もちろん、その上映時間が効果的に使われている限りは、ですが」
――どうしてこんな質問をしたかというと、特にアメリカではあなたと同じくらいの若い世代の人たちが、IMAXのスクリーンで長い映画を観る体験そのものを支持していていると近年よく言われているからです。
ケイン「映画館という場所は、僕と同世代の人たちにとって、最後ではないにしても、ごくわずかな体験の重要なもののひとつであり続けています。インターネット時代にあっても、映画館というのはコミュニティ的な体験なんです。ひとつの場所に閉じ込められ、そこにいるすべての人とほとんど同じ感情と倫理の旅を共有でき、全員の意識が同じものに向けられるという体験には、非常に深く、ほとんど神聖とも言えるなにかがあると感じています。特に、現代のように情報が非同期化された時代において、それはとても稀なことです。僕はインターネットと共に育ち、ほかの多くの同世代と同じようにインターネットを使っていますが、映画館へ行くことが楽しめない体験になったと感じたことは一度もありません。常に魅力的な体験であり続けています。それは映画館という場所が、外の世界のあらゆるノイズを遮断し、気を散らされることなくひとつの物語と向き合うことができる、安全とまでは言えなくても、心地よい精神状態に連れ戻してくれるからなのだと思います」
――自分が恐れているのは、あなたがいつか「映画なんて作ってもおもしろくない」と言って、ほかのジャンルに行ってしまうことです。あなたのような優れた表現者に見捨てられたら、心配になってしまうので(笑)。
ケイン「僕としてはいま、長編映画というフォーマットを経験してみて、この業界の状況がどんなものなのかを把握している最中だと感じています。僕はもともと長編映画に憧れてこの仕事を始めたわけではありません。ですが、映画を取り巻くビジネス上の慣習が確立されているからこそ、いま自分が長編映画に惹きつけられているのだと気づきました。自分の意識が自然と向く物語の形は、多くの場合、長編映画とは別の場所なのですが、これからも映画を作ることになると思いますよ。少なくとも、ひとつの場所に集まり、ほかの観客たちと一緒に同時に映画に没入できるあの体験を作ることには、留まり続けたいと思っています。劇場体験が提供してくれるあの体験自体を、自分も大切にしたいと思っています」
――最後に、「映画的」という言葉を聞いた時、あなたは真っ先になにをイメージしますか?
ケイン「『映画的』という言葉を聞いて頭に浮かぶのは…これは僕個人の脳内での話なのですが、過剰な演出や、つやのあるレンズフレアのような、現実が誇張されたり様式化されたものを思い浮かべます。人生のドラマが視覚的、あるいは芸術的なエネルギーを持って大げさに表現されているようなイメージです。その画像が整っていればいるほど、巧みに演出されて細部まで意図的であればあるほど、自分のなかにある『映画的』という定義により近くなります。ただ、これはあくまでも個人的な感覚なので、『映画的』という言葉を自分が一般的な意味で定義づけられるとは思っていません」
取材・文/宇野維正

