王道ラブストーリーを反転させた怪作!爆発的ヒットを記録中の“ヤンデレ”ホラー『オブセッション 災愛』を読み解く
なぜヤンデレホラーは多くの人に支持されるのか?
ここまで『オブセッション 災愛』は普通の恋愛物語の真逆だと記してきたが、恋愛とホラーをミックスさせた作品は少なくなく、むしろヤンデレとホラーは相性がいいことを証明してきた。
例えば、スティーヴン・キングの「ミザリー」は小説家を熱狂的な愛読者の女性が監禁する内容であったし、村上龍の「オーディション」もオーディションに参加した女性のなかから再婚相手を選ぼうとした男性の恐怖を描いていた。ほかにも、日本では主人公と2人の少女による愛憎劇を描いたアニメ「School Days」を発端としてヤンデレという言葉が浸透していき、未来の出来事が描かれた日記をめぐる殺人ゲームに巻き込まれた少年が主人公のアニメ「未来日記」のヒロイン、我妻由乃はヤンデレの代表的なキャラクターとして語り継がれている。
そんなヤンデレを描いたホラー作品が支持され続けている理由は、「好きな人に愛されたい」または「誰かを愛したい」という共感しやすい、人間の根源的な欲求とさえ言える感情が根底にあり、その共感が恐怖へと転じる様もまたわかりやすいからだろう。王道の恋愛物語も、その根幹の共感ポイントはまったくズレていない。
また、本作のあらすじである「願いが恐ろしい事態を招いてしまう話」には、怪奇小説の「猿の手」という代表例があり、便利なアイテムが因果応報的な結果を生む様は「笑ゥせぇるすまん」や「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」も思い出すし、近年のホラー映画では美と若さを美徳とするルッキズムおよびエイジズムの痛烈な批評となった『サブスタンス』(24)もそれに類する。そちらの面で取り上げれば、実は『オブセッション 災愛』で描かれる物語は古典的ともいえる。
フレッシュな演出と真に迫る演技が恐怖を倍増
一方で、『オブセッション 災愛』でフレッシュと言えるのは、新鋭カリー・バーカー監督による「独特のテンポ感の編集」「意味深なカメラワーク」「画面に映らない出来事を示す音」などの演出が行き届いており、それぞれが様々なアイデアで彩られた恐怖シーンを最大限に盛り上げていること。特に主人公のベアが唖然として見ていたものが、実は…と示す場面は個人的な本作の最恐ポイントであり、終盤の画面から見切れるか見切れないところに映るものも心底ゾッとさせられた。
そして、ヒロインを演じた新星インディ・ナヴァレッティが、本作のMVPと断言していい。サバサバした気のいい女性だったのに、坂道を転げ落ちるようにヤンデレ化していく様を演じきっていることはもとより、本来はまともな人であるのに、願いのパワーに支配されている事実を示す演技にも戦慄させられたから。映画中盤で、仲間たちと酒を飲みながらゲームをする時の「笑ってしまうほどの異常事態」にこれ以上なく説得力を持たせられたのは、彼女のガチすぎる表情と一挙一動のおかげでもあるだろう。
また、主人公の青年ベアを演じたマイケル・ジョンストンも、まったくヒーロー的ではない、むしろ非モテをこじらせた結果として、一方的に愛されることを受け入れ、耽溺してしまう役を好演。前述した“愛されたい”、“愛したい”以上に、「恋愛において苦労をしたくない」からこそ願いを叶えるアイテムに頼ってしまったと言える彼の過ちは、“タイパ”や“コスパ”を重視するいまの若者たちには、より反面教師として受け取りやすいのかもしれないし、そこには恋愛についての普遍的な学びもある。
つまり、本作はYouTube発の気鋭クリエイターによるフレッシュな演出で、想像をはるかに超える“愛”を見せつけるヒロインの怪演を堪能できるホラーとしてはもちろん、王道ラブストーリーを反転させた“恋愛映画”として楽しむことができる側面を持っている。ベアとニッキーの常軌を逸した“恋愛”を通して、意中の相手がいる方は「恋愛で苦労することの大切さ」を、パートナーがいる方は「相手の気持ちを優先する」という当たり前のことを、いま一度鑑みてもいいのかもしれない。
文/ヒナタカ
