身長206cm、IQ145の殺人鬼…FBIの教材となった“女子大生キラー”で“親殺し”、エド・ケンパーの異様な人生
社会復帰、そして女子学生を狙う連続殺人鬼に…
それから5年が経った1969年12月18日、模範囚として振る舞い、精神鑑定でも明晰な頭脳で模範解答を導きだしたエドは更生したと認められ、母のもとで過ごすことを条件に21歳で社会復帰する。
カリフォルニア州の高速道路局での職も得たが、母親との関係は悪化するばかり。しだいに狂気が顔を出し、1972年5月7日、エドはヒッチハイクしていた女子大生2人組を車に乗せると、人気のない雑木林に連れて行き、殺害してしまう。
遺体を家に持ち帰って凌辱したり、ポラロイド写真を撮ってコレクションしたり、遺体をバラバラにして頭部を庭に埋めたりと…この殺人を皮切りに次々と女子学生の命を奪い、凄惨な行為を繰り返していく。
衝動的な犯行に思えるが、この犯行に及ぶまでにヒッチハイカーの女子学生を150人拾い、予行練習を行ったという用意周到ぶり。時計をチラッと見て「予定があるから」と言いハイカーを安心させるなど、手段を磨き上げていったようだ。
殺人の終着点となった母親との関係の決着
そんな連続殺人の終着点となったのが、母クラーネルの殺害だ。1973年4月20日、パーティーから帰ってきた母が寝静まったところをハンマーで殴打し殺害。
首を落とし死姦し、生首をダーツの的にして頭部を破壊。最後は自分を長年罵り続けてきた舌と声帯を、ディスポーザーにかけて処理。しかし、それもうまくいかず、喉頭が自分のほうに飛んできてしまったそうで、のちにエドは「母親は死んでもなお、意地悪をしてくる」と語っている。
さらに友だちと旅行に出たことを偽装するため母の親友も殺害し、逃亡をするが、ラジオからまったくニュースが流れてこないことにしびれを切らし、コロラド州プエブロから電話で犯行を自供。「もう目的がなくなった」と語ったように、母を殺害したことで目的を達成したのだろう。本人は死刑を望んだが、カリフォルニアでは一時的に死刑が停止されていたため8つの終身刑を受けることとなった。
FBIのインタビューに協力し、シリアルキラー像の確立に寄与
これだけでも衝撃的な人生だが、さらにユニークなのが収監されてから。当時FBIでは行動科学課が設立され、犯罪の性質や特徴を行動科学的に分析し、犯人像を割りだしていくプロファイリングの手法を確立するために、連続殺人犯へのインタビューを実施。エドはこれに積極的に協力している。
警察の試験に落ちたエドが警察関係者のたまり場となっていたバー、ジュリー・ルームで警官たちから“ビッグ・エド”の愛称で親しまれていたという“警察への憧れ”や、“幼少期の小動物虐待”など、インタビューを通じて連続殺人犯像の確立に大きく寄与。
ちなみにインタビューを行なっていたFBI捜査官ロバート・K・レスラーに対して「警備員は交代勤務中で戻ってこない。その間に、お前の首を折ってテーブルの上に置いておける」と“冗談”をかましたことから、捜査官は2人1組でインタビューすることが義務付けられたとか。
エドの心理を浮かび上がらせる映画『エド・ケンパー』
アメリカにおける凶悪犯罪を取り上げた『アメリカン・バイオレンス』(81)では、インタビューに応じる姿が収録され、またFBIによるプロファイリング誕生を描いたデヴィッド・フィンチャーによる「マインドハンター」でもメインキャラクターとして繰り返し登場するなど、映画やドラマの題材とされてきたエド。
映画『エド・ケンパー』では、母親との壮絶な暮らしを中心に、彼がなにに突き動かされ、アメリカ犯罪史に名を残すほどの凶悪な殺人鬼となったのか?目を背けたくなるような嫌悪感を覚えずにはいられないゴア描写を交えながら、卑劣な犯行からエドの母親に愛されたいという切実な心理まで刺激的に描かれている。
エド・ケンパーを知る人はもちろん、本稿で知ったという人も、映画を通じて、彼の壮絶な人生を目撃してほしい。
文/サンクレイオ翼
