コーエン兄弟でキャストも豪華、でも中身はおバカなコメディ。押井守が共感した、観客を“裏切りたい”理由とは?【押井守連載「裏切り映画の愉しみ方」最終回『バーン・アフター・リーディング』前編】
独自の世界観と作家性で世界中のファンを魅了し続ける映画監督・押井守が、Aだと思っていたら実はBやMやZだったという“映画の裏切り”を紐解いていく連載「裏切り映画の愉しみ方」。いよいよ最終回となる第9回では、『ノーカントリー』でアカデミー賞監督賞に輝いたコーエン兄弟による『バーン・アフター・リーディング』(08)をお届け。連載の最後に本作を選んだ理由は、いったいどんな“裏切り”だったのか?
「巨匠になんてなりたくないし、呼ばれたくもない」
――押井さん、2025年の8月からMOVIE WALKER PRESSで再発進したこの連載の最後を飾る作品です。人気の高い監督の作品とおっしゃってました。
「コーエン兄弟ですよ。彼らの『バーン・アフター・リーディング』について語ろうと思っていたんだけど…」
――ブラッド・ピットやジョージ・クルーニー、ジョン・マルコビッチら人気や演技力の高さで知られる俳優が出演してますが、ストーリーはおバカな感じですよね。フランシス・マクドーマンド扮するフィットネスクラブのインストラクターが全身整形するための資金を稼ごうとする話。
「そうです。そのために偶然、手に入れたCIAの情報をロシア大使館に売りつけようとする。その情報というのがメモワール(=自伝)を書こうとしている元CIAのマルコビッチのもので、実のところ大した価値がない…」
――もしかしてソコですか?タイトルからはついスパイものを想像してしまいますが、実はおバカなコメディだったという裏切り?
「あのコーエン兄弟が豪華キャストで撮った作品が、なんとおバカなコメディだったという裏切りもあるといえばある。でも、それはよくある裏切り。私が語りたかった“裏切り”はそこじゃないんですよ…」
――コーエン兄弟は本作の前、『ノーカントリー』(07)でオスカーを取ってます。作品賞・監督賞・脚色賞と兄弟で3部門を取っている。それに押井さんは前回の最後で「監督として世間を裏切りたい」云々とおっしゃってましたが、それとこの栄誉は関係ありますか?
「あ、それだ!それです。ヘビー極まりない『ノーカントリー』はオスカー作品でもあるから、多くの人が観たはずだよね。頭に“そういう映画を撮るコーエン兄弟”と刻まれ観客は、彼らの次回作として『ノーカントリー』のような作品を期待して劇場に行く。キャストも豪華だから当然、期待も膨らむわけですよ。ところが、蓋を開けたらおバカなコメディだった…だから、そういう“裏切り”を監督はしたくなるものなんだということを語りたいんです!」
――ということは、ある種の期待を抱いている観客に対して監督は肩透かしを食らわせたいと思う。つまり“裏切りたい”ということですね?それに前作がヘビーすぎたので今回は軽く楽しみたいみたいな気持ちもありそうですよね。
「それに加えてもうひとつある。私はそれを語りたいんです。たとえば北野武がときどきつくるツボがよくわからないギャグ映画。そういう映画をなぜわざわざ撮るんだろうと思うわけですよ。みんなのヒンシュクを買いながら、それなりの予算を使ってなぜおバカっぽい映画をつくるのか?以前からそれが疑問だったんだけど、コーエン兄弟のこの映画を観た時、私は理解出来たような気がした」
――というと?
「観客に肩透かしを喰らわせてざまあみろというんじゃなく、その正しい答えは『巨匠になりたくない』なんです。これ、私にはとても理解できる。私も時々、評判の悪い実写を撮ったりするでしょ?同じ実写でも『アヴァロン』(01)は誰も文句言わないけど『立喰師列伝』(06)、それも番外編の『真・女立喰師列伝』(07)等はコテンパに言われてしまう。『真面目に『パトレイバー』をつくれ』とか『本気で『攻殻機動隊』をやれ』とか『俺たちが観たいのは『パト』と『攻殻』なんだ』とかね。
で、私のことを“巨匠”呼ばわりする人がいるんですよ。メールの宛名を“巨匠”にする人がいたり、麻雀やっていても『巨匠、それ当たり』って言われたり。道場でも『世界のオシイになんてことをするんだっ!』って。もちろん、こういうのは全部、冗談だよ。業界の人たちが楽しんで言っているだけ。でも、なかには本気で“世界の押井”とか書いちゃう人がいるんです。私はそういうのがイヤなの。巨匠になんてなりたくないし、呼ばれたくもない。だから、『バーン・アフター・リーディング』を観た時、もしかしたらコーエン兄弟も同じ気持ちなんじゃないかと思ったわけです。北野武もコーエン兄弟も、時々バカをやって、失敗する権利を保留したい。絶対に失敗できないのは苦しいだけだから」

