『悲情城市』から『返校』、そして『霧のごとく』へ…白色テロを描いてきた台湾映画の変遷
2025年の台湾で大きな話題を呼んだのが、白色テロの時代を舞台にした映画『霧のごとく』(公開中)だ。近年の台湾では、その時代背景を題材にした映画やドラマが次々と生まれている。1947年の「二・二八事件」をきっかけに、台湾では1949年から38年間にわたって戒厳令が布かれ、政府は反体制的だと見なした人々を弾圧した。この時代は「白色テロ」と呼ばれ、多くの市民が投獄、処刑された。長いあいだ、こうした歴史は社会のなかで語りづらいものでもあった。
しかし近年は、当時を経験していない世代のクリエイターたちが、ホラー、青春映画、ヒューマンドラマなど、様々なジャンルを通してこの時代を描き始めている。本稿では『霧のごとく』を起点に、『悲情城市』(89)、『返校 言葉が消えた日』(19)などを振り返りながら、台湾映画がその時代とどのように向き合ってきたのかをたどっていきたい。
『霧のごとく』が描く、白色テロ時代を生きた名もなき人々
『熱帯魚』(95)、『1秒先の彼女』(20)などのコミカルな作品を得意とする陳玉勳(チェン・ユーション)監督の最新作『霧のごとく』は、白色テロ時代を舞台にしながらも、人情味にあふれる持ち味はそのままに、霧に覆われた前の見えない時代を必死に生き抜いた人々の人生に向き合った。
1950年代、反政府分子として捕らえられた兄が銃殺されたことを知った少女・阿月(アグエー)は、遺体を引き取るため、たった1人、嘉義から台北へ向かう。引き取りに必要な手数料は高額で、払える見込みはない。それでも阿月は、なけなしの金と、生前の兄からもらった腕時計、さつまいも2つを手に、列車に乗り込む。台北に着いて早々、騙されて遊郭に売られそうになったところを、人力車の車夫・趙公道(ザオ・ゴンダオ)に救われる。若いうちに徴兵され、中国大陸で戦場を駆け回った末、国民党軍の一員として台湾へ渡ってきた公道は、故郷へ帰ることもかなわず、慣れない土地でその日暮らしの生活を送っていた。白色テロの時代の中で仲間を失い、自らの人生の行き場も見失っていた趙公道は、兄の遺体を引き取ろうと必死にもがく阿月の姿に心を動かされ、手を差し伸べる。先の見えない時代の激流の中で出会った2人を待ち受ける運命は…。
犠牲者やその家族は、身内に“犯罪者”がいることを知られないよう、長いあいだ沈黙を強いられてきた。そのため、当時を知らない世代の中には、白色テロについて学ぶ機会がほとんどなかった人も多い。1987年に戒厳令が解除されると、台湾社会の変革を経て、言論の自由が回復されていき、様々な媒体で白色テロの時代について伝えられるようになった。近年は、当時を知らなかった世代が過去と向き合い、この歴史を映画やドラマとして描いている。『霧のごとく』もそんな流れに連なる1本だ。
チェン・ユーション監督は、犠牲者とその家族がたどった過酷な運命を語りながらも、人間のおかしみも等しく描き、観る側に様々な感情を喚起する。決して軽々しいという意味ではない。よく使われる“シリアスな題材をエンタテインメントに落とし込み……”という表現は適切でなく、つらく厳しく悲しい時でも、人は滑稽でおもしろおかしい生き物であることを等しく描いていると言ったほうがいいのかもしれない。台湾で興行収入5億円を超える大ヒットを記録したのは、そうした幅広く受け入れられやすい作風だったことも大きい。歴史を語り継ぐという意味で、大成功といえるのではないだろうか。
趙公道という名前は“正義を求める”という中国語と同じ音だ。白色テロやその犠牲者について語られ始めた裏で、まるで霧のように何の痕跡も残さないまま消えた趙公道たちのような存在も取りこぼさないという、この役柄に込めたチェン監督の真摯な想いが見て取れる。阿月の兄も、趙公道も、時代に翻弄され、未来を奪われた若者たちだ。スクリーンいっぱいに立ちこめる霧が、この世界に取り残された人々の心残りのようでやるせない。
