『プロジェクト・ヘイル・メアリー』にみる異例な構造。ジャンルを導入しつつズラすという古くて新しい技【小説家・榎本憲男の炉前散語】
ラストでのグレースの選択を、どう捉えるのか
ところが、驚いたことに、主人公のグレースは帰還しません。といって悪夢のようなエンディングかというとそうでもない。もちろん、クライマックスでは主人公は葛藤します。
自分は地球へ帰還すれば、ロッキーは死ぬ
ロッキーを救えば、自分は地球に帰れない
そして、この映画のラスト近くで、グレースはロッキーを救い、異星人としてロッキーの星で生きることを選択するという、思い切ったツイストが仕掛けられます。
このような“荒業”が可能なのは、主人公のキャラを薄くしてあるからでしょう。実は、グレースに関する情報量は意外と少ない。優秀な学者だったのに、権威をこき下ろしたために学界から追放され中学教師の身に甘んじていると設定されてはいますが、生徒との濃密な関係が描かれるわけではなく、結婚もしていなさそうだし、元カノの影もきわめて薄い。彼と地球との間に太い紐帯を見つけることはできません。
たとえば、妻が身ごもっている最中に、強引に地球から引き剥がされ宇宙に飛ばされたとしたら? 右の葛藤はさらに複雑になるでしょうし、同じ選択をしたとしても、明るいエンディングにはなりそうにありません。『ゼロ・グラビティ』の主人公であるライアン(サンドラ・ブロック)は独り身で、宇宙を彷徨いながら同僚のマット(ジョージ・クルーニー)が「誰か特別な人はいないの? 空を見上げて君を想っている人は?」と尋ねると、4歳児の娘を事故で亡くしたことを打ち明け、それいらい自分はずっと仕事に行って夜は車を運転しているだけだと告白します。つまり、地球にいながらも宇宙を彷徨っているような生活をしていたわけです。けれど、そんな彼女もやはり生きたいと願い、そしてなんとか帰還を果たし、彼女が土を掴んで立ち上がるところで映画は終わります。また、『ファースト・マン』は、最初に月に降り立ったニール・アームストロング(ライアン・ゴズリング)が主人公が妻ジャネットと検疫室のガラス越しに再会するところで幕を閉じる。これらに比べると本作の主人公の地球との絆はやはり軽く細いと言わざるを得ません。
では、これはなにを意味するのでしょうか。グローバリゼーションによって、生まれ故郷を離れ、自分らしく生きられる場所にどんどん人は移動していくだろうという予測があり、すでにそうなりつつあるとも言われます。また一方で、このような状況に刺激され、ナショナリズムが勃興しつつあると言う人もいます。グレースの選択は「逃避」なのか「成熟」なのか、バディ(=他者)こそが新しい「日常」となりうるか。――これはなかなか難しい問いです。本作の結末にノレるかノレないか、それは観客が自分のアイデンティティの基盤をどこにおいているかによるのかもしれません。
文/榎本 憲男
1959年生まれ、和歌山県出身。小説家、映画監督、脚本家、元銀座テアトル西友・テアトル新宿支配人。2011年に小説家、映画監督としてデビュー。近著には、「アガラ」(朝日新聞出版)、「サイケデリック・マウンテン」(早川書房)、「エアー3.0」(小学館)などがある。「エアー2.0」では、第18回大藪春彦賞の候補に選ばれた。映画『カメラを止めるな!』(17)では、シナリオ指導として作品に携わっている。

小説家・榎本憲男の炉前散語
