『プロジェクト・ヘイル・メアリー』にみる異例な構造。ジャンルを導入しつつズラすという古くて新しい技【小説家・榎本憲男の炉前散語】
“選ばれし者型”の主人公、グレース
もうひとつ、旅立ちの設定がまた面白い。物語というのは主人公が日常から非日常に向かって旅立ち、帰ってくるまでを描くのだ、とこれまでなんども口を酸っぱくして言ってきたわけですが、この旅立ちには、いくつかのタイプがあります。僕は大きく、もともと旅立ちを待望していた“旅立ち待望型”と、任務を帯びて旅立つ“ミッション遂行型”と、勝手に選ばれてしまい無理やり旅立たされる“選ばれし者型”の3つに分けています(本当はもっと細かいのですがここではそうしておきましょう)。“旅立ち待望型”の主人公は、ここではないどこかを夢想して旅立つのです。この気分を説明するのに、谷川俊太郎の「GO」という詩ほど相応しいものもないので、冒頭数行を引用しましょう。
さあ。いこう。何処へいこう。
と 我が友詩人の藤森安和君は云った
さあ いこう
ひとまずいこう とにかくいこう
ここはしめっぽい ここはくさっている
ここはごきぶりで一杯だ ここは顔のない他人で一杯だ
ここはいかさない
だからいく いくんだ とにかくいく
1960年代後半から1970年代半ばまで、アメリカン・ニューシネマ(New Hollywood)と呼ばれる映画群ではこのような気分が横溢していました。もちろん、こんな気分で宇宙旅行をすることはできません。宇宙飛行士の旅立ちは、“ミッション遂行型”のはずなのです。ところが『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は“選ばれし者型”になっています。このミッションを担うはずだった者が不慮の事故で死んでしまい、彼らを教育していた主人公にお鉢がまわってきたというわけです。しかも、太陽光の減衰による極端な寒冷化から地球を救うという主人公に課せられたミッションは、その成功の確率はきわめて低く、生還する確率が0%というとんでもないものです。
それでも、本作のトーンに悲壮感はなく、どことなくユーモラスなのは(ヘイル・メアリーには「やけくそ」とか「やぶれかぶれ」の意味があるそうですが、シリアスなものにこんなプロジェクト名はつけないでしょう)、バディもののスタイルを採用しているからでしょう。
基本の物語構造となる、「非日常」から「日常」への帰還
さて、旅立ちがなかなか風変わりであることを紹介しましたが、本作の最大の特徴は帰還のほうにあります。
SF映画で宇宙飛行士を主人公にした場合、基本的には地上から宇宙に行き、地球に帰ってくるまでを描きます。そしてこれは、<日常⇒非日常⇒日常>という物語の基本フォーマットにぴたりと当てはまっています。「指輪物語」のJ・R・R・トールキンは代表作「ホビットの冒険」に“There and Back Again”とつけています。主人公ビルボ・バギンズが平穏な「日常(袋小路屋敷)」から「非日常(冒険の旅)」へと足を踏み出し、再び「日常」へと戻ってくる構造がこのサブタイトルに象徴されています。
『ファースト・マン』(18、デイミアン・チャゼル監督)は、訓練、出発、月での活動と離陸、大気圏への突入、海上への着水までをていねいに描いています。『ゼロ・グラビティ』はいきなり宇宙からはじまって、旅立ちを端折っていますが、ほぼ全編を通して帰還を描いていると言えるでしょう。帰って来れないということは悪夢に閉じ込められることを意味するのです。無重力という「究極の非日常」から、重力という日常性の再獲得、水・泥・土という生命の根源的な日常へと戻ってくることではじめて映画は幕を閉じられます。帰還した彼女が土を掴むとき、その感触は地球を出る前とはちがっているはずです。トールキンは、物語(特にファンタジー)において、帰ってきたときに「見慣れたはずの世界を、新鮮な驚きをもって再発見すること」(回復/Recovery)が大事だと述べています。
1959年生まれ、和歌山県出身。小説家、映画監督、脚本家、元銀座テアトル西友・テアトル新宿支配人。2011年に小説家、映画監督としてデビュー。近著には、「アガラ」(朝日新聞出版)、「サイケデリック・マウンテン」(早川書房)、「エアー3.0」(小学館)などがある。「エアー2.0」では、第18回大藪春彦賞の候補に選ばれた。映画『カメラを止めるな!』(17)では、シナリオ指導として作品に携わっている。

小説家・榎本憲男の炉前散語
