生や死の先にある“無限の時間”を追い求めるジョシュ・サフディ監督。『マーティ・シュプリーム』までの道、ティモシーと弟ベニーについて【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】
「『マーティ・シュプリーム』の結末は、あなたにとって一つの達成、一つの偉大なゴールのようにも思えた」(宇野)
――ここまで話してきたように『マーティ・シュプリーム』と『アンカット・ダイヤモンド』は非常に近しい精神や審美眼から生まれた作品なわけですが、『マーティ・シュプリーム』の主人公が『アンカット・ダイヤモンド』の主人公とは正反対の結末を迎えた瞬間、これはあなたにとって一つの達成、一つの偉大なゴールのようにも思えたんですね。そして、もしかしたらあなたの次作はこれまでとはまったく違うものになるんじゃないかとも。
サフディ「それは、僕自身が現在最も興味を持っていることです。結局のところ、映画というものはそれ自体が作り手にとっては“生存の証明(proof of life)”なんです。かつて(ジャン=リュック・)ゴダールが『すべての映画はドキュメンタリーである』と言ってましたが、それはあるレベルにおいて、真実だと自分も思います。 もしなんらかの知的生命体が僕たちの映画を見つけ、その時に人間の種族がいなくなっていたとしたら、彼らはなにがリアルでなにがフェイクか分からないでしょう。そう考えると、結局のところ自分の作る映画もすべてはただのドキュメント(記録)なのです。だから、映画において僕が最も興味があるのは、物語がもたらす時間の無限の広がりです。『アンカット・ダイヤモンド』の結末でも『マーティ・シュプリーム』の結末でも、僕が描いたのは“無限(infinity)”についてです。 『アンカット・ダイヤモンド』のハワードは中毒者です。彼の物語が終わる唯一の方法は、あの終わり方しかありませんでした。『マーティ・シュプリーム』のマーティは夢に取り憑かれています。だから、もしその夢が死ぬと、それは残りの人生でずっと彼を悩ませるだけでなく、彼の曾孫をも悩ませるでしょう。曾孫たちが『僕の曾おじいちゃんは世界最高の卓球選手だったんだ』と言うと、その友達は『じゃあ証拠を見せてよ』と言うでしょう。その時、曾孫は『証拠はないんだ。日本では試合はカウントされなかったから』と答えるしかありません。そうやって、マーティの夢の失敗は広大な時間を彷徨い続けることになります。そして、マーティが自分の子どもと目を合わせた時、彼が自分の子どもの目の中に見ていたのも“無限(infinity)”です。彼は子どもの目の中に、自分の人生を見ています。そして、その時間の無限の広がりを前に、彼は謙虚にさせられました。非常に強烈な方法で、彼は最後に謙虚にさせられているのです。 ハワードは“死”に対することで謙虚になり、マーティは“生”に対することで謙虚になる。だから、君の言うように、あの2つの結末が正反対だとは言えないかもしれません」
――なるほど。
ジョシュ「きっと次の映画も、そこには常に僕自身が含まれ、僕にとって意味のある人生の出来事や物事を通じた人生の解釈が含まれることになるはずです。(共同脚本家の)ロニーと僕のやり方は、まず自分たちを表現するための物語の器や枠組みを作って、まるで薬物中毒者がドラッグを探すように自分たちの人生を掘り下げてそこから意味を探していきます。なので、その過程では自分でも何が作ろうとしているのかわからないことが往々にしてあります。次作のアイデアはあります。ロニーもアイデアを持っています。きっと、そこではこれまでと同じように時間の無限の広がりに興味を持ち続けるでしょうし、その経験を象徴する小さな物語に興味を持ち続けることになるでしょう」
「ティモシーがすごいのは、“コンセプチュアル・マーケティング”を本能的に理解しているところ」(ジョシュ)
――最後に、このタイミングだからこそ質問したいことが一つあります。『マーティ・シュプリーム』のワールドプロモーションにおけるティモシー・シャラメの活躍ぶりには、驚きを超えて、感動すら覚えました。彼は自分の力を完璧に理解していて、『マーティ・シュプリーム』の文化的なインパクトを高めるため、それを最大限に利用していましたね。
サフディ「ティモシーには本当に驚かされましたよ。初期の段階でのプロモーションのアイデアで、僕はティモシーにマーティの夢を生き続けさせようと思っていました。この映画の憑在論的な性質、つまり過去が未来を悩ませ、未来が過去を悩ませるというところから、マーティの写真をウィーティーズ(北米のシリアルのナショナルブランド)のパッケージに載せて、それが街中に広がっていくことをイメージしました。コカ・コーラでも、リーバイスのジーンズでも、M&M'sのチョコレートでもよかったんですが、マーティの夢を称えるために、そうした象徴的なアメリカのブランドの広告にマーティの顔を載せたかったんです。彼の夢を称えることで、『マーティ・シュプリーム』という映画の持つ“誰かの夢に取り憑くような性質”が表現できると思ったからです」
――なるほど!今回の日本でのプロモーションでマーティの写真が載った日清カップヌードルを作ったのもその流れだったんですね。
ジョシュ「そうです。でも、ティモシーはそれをさらに上回ることを世界中でやってくれました。彼がすごいのは、“コンセプチュアル・マーケティング(概念的な宣伝)”を本能的に理解しているところです。彼は概念的な思考の持ち主で、プロモーションに映画の中のキャラクターを持ち込むことで、観客が映画を体験する前に、そのキャラクターを昔から知っているように思わせる方法を会得しています。だからいま、映画を観に来る人々は、映画のスチールを一枚も観る前から、すでに映画の中のマーティの思考回路や視点になじまされています。その手際の鮮やかさは本当に驚くべきものでした。なので、作品のプロモーションにおいては、僕は彼にすべて従うことにしました。『マーティ・シュプリーム』の前例のないあのプロモーションは僕のアイデアではありません。僕のアイデアは、ウィーティーズのパッケージに彼の写真を載せることだけでした(笑)」
取材・文/宇野維正

