タイトルの意味、“家”に込めた哲学…『センチメンタル・バリュー』の優しい余韻をヨアキム・トリアー監督&キャストの言葉からひも解く
「(撮影舞台である)何代もの家族の歴史が刻まれた家は、まるで我が家のように感じられました」(レナーテ・レインスヴェ)
作品の原題は、ノルウェー語で「愛着」を意味する、“Affeksjonsverdi”。英語圏では邦題と同じ“センチメンタル・バリュー”と訳されている。トリアー監督はこう説明する。「文字通り、あなたがとても大切にしているおばあさんのコーヒーカップのようなもので、他の人には醜く見えても、あなたにとってはかけがえのないもののことです。この映画では、同じ家族生活に対して、非常に主観的で異なる経験を持つ2人の姉妹について語っています。その異なる経験が、非常に興味深いと感じました。私と2人の兄弟姉妹の間でも『なぜ私たちはこう感じたのか?』『なぜ違う感じ方をするのか?』と話題になります。主観的に価値を見出すこと、それがおもしろいと思いました。それから、私は音楽が好きでよく聴くのですが、このタイトルは古い憂鬱なジャズのスタンダード曲のタイトルのように感じられました。このタイトルからは、なにかがすり抜けていくような感覚があります。それはなにか?時間でしょうか。両親と和解する機会、長く映画監督を続けられる可能性、子どもたちの成長、維持できない家など、多くのものが手のひらから滑り落ちていくのです」。
撮影の舞台となったのは、オスロに実在する歴史ある一軒家だ。「何世代にもわたって受け継がれてきた邸宅ですが、いまは住人がなく幸運にも撮影に使うことができました。何代もの家族の歴史が刻まれた家は、まるで我が家のように感じられました。たくさんの魂が宿っているようでした」とレインスヴェが語ると、「その家はまるでキャラクターのように独自の存在感があり、インスピレーションを与えてくれました」とリッレオースも続ける。
一方で、トリアー監督にとって「家」はこの映画の哲学的な軸となっている。「家というものは、この作品において非常に重要な要素です。これは、私たちが世代や時間というものをより大きな視点で捉えたかったことと関係していると思います。私にとって家は、むしろ、私自身が子どもの頃、自然番組を見て抱いたような考えに近いのです。例えば、象には象の時間があり、蟻には蟻の時間がある。そして家屋は人間とは異なる時間軸を持っているのだと思います。ご存知のように、人々は生まれ、死に、生と死を行き来する。子どもにとって、そうした移り変わりについて語り、空想することは、物事が過ぎ去っていく物語の文脈として、非常に興味深いテーマでした。そして、それは映画的な楽しみでもあり、ジャズのような反復もあります。例えば、小津安二郎の『晩春』で、父親が家族を見送り、彼らが暮らしていた家の玄関から戻ってくる孤独な姿に、私は涙を禁じえませんでした。つまり、映画における空間的要素を実際に活用してなにかを表現できるのです。ですから私も、家という空間を通じて物語を伝えることに全力を尽くしました。家屋は人間とは異なる時間軸を持っています」。
