タイトルの意味、“家”に込めた哲学…『センチメンタル・バリュー』の優しい余韻をヨアキム・トリアー監督&キャストの言葉からひも解く
「私たちは、非常に力強く、明確な主張を持つ芸術が必要だと考えます」(トリアー監督)
カンヌ国際映画祭の記者会見でトリアー監督が言った一言、「優しさはパンクである」が、映画のテーマと共鳴し、いまの気分を表す言葉として認識されていた。その言葉の真意を、トリアー監督は「私は1990年代に、ある種のカウンターカルチャーの影響を受けて育ちました。スケートボードに夢中になり、パンクに傾倒し、若い頃は政治活動にも積極的に関わっていました。いまでも映画以外の分野ではその姿勢は変わっていません。なぜなら、映画というメディアが橋渡しする中間領域こそが、私にとって『いま、なにが真に革新的な立場なのか』を考える場だからです。私たちは、非常に力強く、明確な主張を持つ芸術が必要だと考えます。そしていま起きている恐ろしいことについて、人々が声を上げて訴える必要があるとも思います。私自身も請願活動などを通じてそうしています。しかし同時に、幼い子どもを育てるなかで、優しさと希望のための空間を見つける必要性も感じています」と説明した。
この想いには、現在の世界が抱える闇や分断について、同じ家で育っても別々の視点でものごとを捉える姉妹の相互理解によって解いてみようという挑戦が含まれている。
「分断の解消が必要です。お互いに『あなたは誰なのか』と問いかけること。相手を倒すのではなく、誤解を解き、寄り添う姿勢が大切なのです。『センチメンタル・バリュー』で家族を描く過程で気づいたのは、多くの人々が抱える傷や悲しみについて、 私たちは互いの足を踏みつけ合うだけで、どう語り合えばいいかもわからずにいます。だからこそ、より寛容で優しい物語を見つけようとしました。かつてパンクで皮肉屋だった私が心の奥で囁く『ああ、お前はまたハッピーエンドを作ろうとしてるんだな』という声に背を向けつつ、可能な限り家族を修復しようとする物語を作ろうとしました。いえ、これはハッピーエンドではなく、私は彼らにとって可能な限りいい結末を作ろうとしました。すべてが解決したわけではありません。そんなに単純なものではありません。なぜなら、それは人生そのものだからです。私たちはそのバランスを見つけようとしているのです。それが私の、この映画への願いだと思います」。
トリアー監督のこの言葉に、映画『センチメンタル・バリュー』を観た後に残る、優しい余韻の理由を感じることができる。
取材・文/平井伊都子
