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イ・ビョンホンが『NO OTHER CHOICE』で見せた真骨頂と、語り尽くした名演の秘訣。釜山国際映画祭の”顔”アクターズハウスをロングレポート

イ・ビョンホンが『NO OTHER CHOICE』で見せた真骨頂と、語り尽くした名演の秘訣。釜山国際映画祭の”顔”アクターズハウスをロングレポート

イ・ビョンホンパク・チャヌク監督と再びタッグを組むーこの幸福な再会の報せに、多くの映画ファンが心を踊らせた。パク・チャヌク監督の5年ぶりの新作『NO OTHER CHOICE(原題:어쩔수가없다)』(2026年3月公開)は、ドナルド・E・ウェストレイクの小説「斧」を原作にしている。製紙工場で班長として働き、満ち足りていたはずのマンス(イ・ビョンホン)は、突然リストラに遭いすべてが変わってしまった。美しい妻ミリ(ソン・イェジン)と2人の子どもを守ろうとするが再就職もままならず、追い込まれた挙句「自分と同等の経験と能力を持つ人材を殺せば雇用されるはず」という荒唐無稽な考えに陥り、殺人衝動に駆り立てられていく。

【写真を見る】パク・チャヌク監督の最新作『NO OTHER CHOICE(原題:어쩔수가없다)』で、幸せが崩壊し、次第に追い込まれていくマンスを演じたイ・ビョンホン
【写真を見る】パク・チャヌク監督の最新作『NO OTHER CHOICE(原題:어쩔수가없다)』で、幸せが崩壊し、次第に追い込まれていくマンスを演じたイ・ビョンホン[c]釜山国際映画祭

人間の清と濁、善と悪、傲慢さと卑屈。それぞれの間にある人間の微細な感情や性格の変容を体現させれば逸品のイ・ビョンホンによるマンスという人物のおかげで、ありきたりなブラックコメディを良い意味で大きく裏切る見事な仕上がりになっている。今年の釜山国際映画祭(以下BIFF)でも、イ・ビョンホンは最も多忙で、そして華やいでいた映画人の一人だった。今回はその軌跡を追ってみたい。

コロナ禍以降の映画業界を憂う「この作品で活気付いてくれると嬉しい」

9月17日、『NO OTHER CHOICE』のマスコミ試写会に続いて行われた記者会見では、パク・チャヌク監督、イ・ビョンホン、ソン・イェジン、製紙業界の寵児ソンチュル役のパク・ヒスン、同じく採用希望者ボムソ役のイ・ソンミン、彼の妻アラ役のヨム・ヘランが登場。初めて観客の目に触れる今日を心待ちにしていたというパク・チャヌク監督に続き、イ・ビョンホンもまた「監督ほどではありませんが、映画の完成をこんなにも期待していた作品は他になかったかもしれません」と、待ち望んだ日だったことを明かした。

「私の出演作の中で開幕作になったのは初めて」と語ったイ・ビョンホン
「私の出演作の中で開幕作になったのは初めて」と語ったイ・ビョンホン[c]釜山国際映画祭

「パク・チャヌク監督との久しぶりの作業というだけで、今回もおもしろいんだろうな、と始まる前からわくわくしていました。私が演じるマンスは、特別個性が強いわけではなくて、製紙工場に勤める男性です。平凡な彼がある困難な壁に直面し、その状況を乗り越えていくために心のなかであり得ない決定を下してしまう。さらに実行に移しながらますます彼が変わり果てていくプロセス、こういったすべての極端な状況を、平凡な人間が受け入れていくにはどうしていくのか、どのような感情表現になっていくのかと悩みながら撮影しました」。

記者会見では、製紙業というかなり生活に根ざした職業をモチーフにした作品であることから、「困難にもかかわらず製紙業という仕事を手放さないキャラクターたちの姿と、同じく困難が多いなかで映画という芸術を生み出し続ける映画人たちとを重ねた観客も多いのでは。監督と俳優にとって、苦しみのなかのでも映画を作り続けるという営みはどんな意味があるのか」という、パンデミック以降苦しい立場に置かれている映画業界を憂う質問が飛んだ。パク・チャヌク監督は「観客の方々はおそらくそれぞれ自分の人生、自分の職業が先に思い浮かぶのではないでしょうか」と答えつつ、名匠としての気概をのぞかせるこんなことを述べた。

「原作を読んですぐに映画化したいと思った」というパク・チャヌク監督
「原作を読んですぐに映画化したいと思った」というパク・チャヌク監督[c]釜山国際映画祭

「私も原作を読みながら、製紙業という仕事がこんなにも重要であるのにあまり顧みていなかったと思いました。同じように映画を作る者としては、映画というものもある意味で人生において何か現実的な助けを与えはしない2時間の娯楽だとも言えますよね。でもそういうことに自分の人生をすべて注ぎ込んでみると、描かれている人生に感情移入することができました。いま、映画業界がやや厳しく、特に韓国は他の国よりも厳しい状況でなかなか回復できない現状です。しかし、何事にも永遠はあり得ないのではないでしょうか。私たちの映画が、この暗闇から抜け出すための役割を少しでも果たせたらという思いでいます」。

さらにイ・ビョンホンは劇中で描かれる“AIが人間に取って代わる世界”について触れつつ、客足が戻らない上映する劇場街にも思いを馳せた。

夫婦役として良いケミストリーを見せたイ・ビョンホンとソン・イェジン
夫婦役として良いケミストリーを見せたイ・ビョンホンとソン・イェジン[c]釜山国際映画祭

「消えつつある紙を使う製作側が難しいように、映画はもちろんですが劇場こそより大きな困難を抱えていると思うんです。どうにか乗り越えて再び観客から愛される場所になれるかについて、おそらくすべての映画人が考えているんじゃないでしょうか。AIについても作品のなかで問題提起されますが、いまは現実の肌で感じることはできなくても、韓国にひそんでいる危険をあぶり出しているんだと思います」。

イ・ビョンホンとパク・チャヌクは崖っぷちだった?!アクターズハウスで語られた2人の不思議な絆

今年のイ・ビョンホン劇場のハイライトは、9月19日のアクターズハウス。毎年俳優の演技と人生について深堀する、BIFFの顔とも言えるイベントだ。今年30回目を迎える釜山国際映画祭のゲストであることにちなみ、30歳のころになにをしていたかに質問が及ぶと、思わぬ苦労話が飛び出した。

「当時は父が亡くなり、家で稼げる人間は私しかいませんでした。なので城南市の建設管理公団公益要員として6か月間勤めました。そういう人たちは当時多かったです。 招集解除を受ける直前、パク・チャヌク監督の『JSA』(00)の役を受けることになって、シナリオをもらってすぐにやりたいと伝えて即撮影に行きました」。 

「子供の頃のあだなが〝ゴリラ〟だった」という仰天のエピソードも飛び出した
「子供の頃のあだなが〝ゴリラ〟だった」という仰天のエピソードも飛び出した[c]釜山国際映画祭

実はパク・チャヌク監督とは、初対面ではなかった。主演作『それだけが、僕の世界』の試写の際、助監督に呼ばれてパク・チャヌク監督を紹介されたという。

「映画が終わるまで監督は待っていてくれて、シナリオを渡しながら『ぜひ一緒に撮りたいです。読んでください』と仰って、了解はしたんです。ただ、そのとき監督のヘアスタイルがポニーテールで、私はあまりポニーテールしている方が好きじゃないんです(会場笑)。とにかく印象が悪くて『この方とは作業しないだろうな』という変な予感がありました。ところがその方がすでに映画を何本か撮られている監督だと知って、驚きました」。

いまでは想像もつかない話だが、当時のイ・ビョンホンはドラマでは成功するも主演映画が立て続けに興行に失敗し、「映画に向いていない」などとも言われていた。「俳優は2作品成功できなかったらもう呼んでもらえない」という迷信が業界でまことしやかにささやかれていたこともあり、「『あの子と一緒に作品を撮るとダメになるよ』とも言われていました」という。奇しくもパク・チャヌク監督もまた『月は…太陽が見る夢』(92)で大きな挫折を味わっていた。

「新人監督も、1本でも興行で失敗したら以降投資を受けられなかった。なので我々2人とも次の作品の機会を得られたのは奇跡だったんですね。ダメな監督とダメな俳優が会って、一度ミッションに挑んでみようかと」。

すると『JSA』は、韓国で公開するやいなやソウルでの当時の入場者記録を塗り替える大ヒットを記録。大逆転を果たした2人は『美しい夜、残酷な朝』(04)を撮り、続き『NO OTHER CHOICE』で21年ぶりの再タッグとなった。映画づくりにおいて、イ・ビョンホンはパク・チャヌク監督からどんな刺激を受けているのか、MCから質問が及ぶ。

「監督と一緒に作業すると、長くこの業界でやって来た私でも気づかされるようなこと、新しく学ぶことが多いんです。例えば、パク・チャヌク監督もそうですが、私に対して『一度監督業をやってみなよ』と仰るプロデューサーとかが多いんです。でもパク・チャヌク監督と撮影をしたらそんな気持ちはなりません。本当にディテールにこだわって脚本作業をされています。想像できない分量の仕事をこなしているんです。もしあれが本当の監督の仕事なら、私は本当にハイレベルな場所にいるんだなと思います。一瞬で思い浮かぶアイデアにも、もっと深い意味まで含まれていて、単純に笑いを取るだけや、我々が面白いだけのものではない。だから『なんてすごいんだろう』と毎日撮影現場に行って感じました 」。

興味深い演技論が続々と明かされた濃密な1時間
興味深い演技論が続々と明かされた濃密な1時間[c]釜山国際映画祭


俳優とは台詞や身振り、大きな感情表現以外の無数の細かい動きを脚本や演出に沿って理解しつつも、同時に演じる1人の人間として真心を伝えるのが俳優という職業だ。この幾層もの姿を、演技としてどう表現しているのだろう。

「例えば冒険家を例に挙げると、初めて聞く馴染みのない方言や専門用語を使う台詞を言いながら、どんな感情を表すべきかですよね。機械的に完璧に覚えていない限り、自分の感情を頼りに演技することはできません。方言について頭で考えたり、専門用語を間違えないように意識してしまうと感情はすでに崩れてしまっているからです。だから感情を演技で表現する際に邪魔されないよう練習するより、練習して自然にセリフが口から出るようにすべきだと思います」


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