アメリカ統治下の沖縄に真正面から向き合う『宝島』英雄の失踪を通して描かれる人々の“わだかまり”

コラム

アメリカ統治下の沖縄に真正面から向き合う『宝島』英雄の失踪を通して描かれる人々の“わだかまり”

オンの想いを、それぞれの形で引き継ぐ者たち

オンの弟レイ。裏社会のルートで情報を探すためヤクザとなった
オンの弟レイ。裏社会のルートで情報を探すためヤクザとなった[c]真藤順丈/講談社 [c]2025「宝島」製作委員会

宝島』にも米兵によって凌辱、殺害された沖縄女性の事件が、米軍の圧力によって真相がうやむやにされてしまう状況や、ヤマコが働く小学校に米軍戦闘機が墜落して、校舎が大破。多くの子どもたちが犠牲になるが、これが“エンジン故障による不可抗力の事故”として片づけられる理不尽な判断が描かれる。刑事でありながら無力なグスク、教師でありながらなにもできないヤマコ。『劇映画 沖縄』の時代と同じく、統治しているアメリカに逆らえない沖縄の人々の怒りがここにも描かれているが、注目すべきは物語が20年という時の流れを持っているので、主要キャラクターたちの心情に変化が現れることだ。

グスクはアメリカが行ってきた理不尽な行動を受け止めながら、沖縄の人々がこれからどう生きていけばいいのかを模索する。怒りに任せた敵対行動では、なにも解決しないことを彼は実感していくのだ。校舎の事故以来、基地反対、祖国復帰運動へ積極的に参加していくヤマコも、行動を起こすことで沖縄を変えようと身を乗りだす。1人、兄であるオンの魂を引き継ごうとするレイは、あくまで米軍に暴力行為を仕掛け、変わらぬ抵抗のなかに自分のアイデンティティを見つけようともがく。

シンプルな物語の奥からにじむ“問題”

沖縄がアメリカだった時代を、大友啓史監督が真正面から描く
沖縄がアメリカだった時代を、大友啓史監督が真正面から描く[c]真藤順丈/講談社 [c]2025「宝島」製作委員会

彼ら3人の想いは、自然発生的に起こったコザ騒動のなかで複雑に交錯するのだが、映画はこの騒動を単なるバイオレンスとしては描いていない。きっかけは米兵が沖縄の主婦を車で轢いた事故だったが、そこから始まる火付けやシュプレヒコール、あるいは狂乱的に続く民衆の踊りなどには、行動目的に一貫性がない。ただ参加者たちは、前年の1969年に行われた日米首脳会談でほぼ沖縄の日本返還が決まったものの、米軍基地はそのまま沖縄に残るという裁定に、精神的なストレスを感じていたのではないか。基地が存続する限り、延々と続くストレス。その想いを発散させたのが、この騒動の要因の一つではなかったか。様々なことを耐え忍んできたグスクが、騒動のなかで見せる気持ちの高揚感に、当時の沖縄の人の心情が見て取れる。

コザの英雄と称えられるも姿を消したオン
コザの英雄と称えられるも姿を消したオン[c]真藤順丈/講談社 [c]2025「宝島」製作委員会


しかしコザ騒動で心のガス抜きをしても、米軍基地は存在し続けるのであり、沖縄の人々はそのなかでいまも生きている。この結論が出せない気持ちのわだかまりと、それでも前に進もうとする想いを、妻夫木聡をはじめとする出演者たちが、強烈な熱気と共に作品へ注ぎ込んでいる。劇映画としてはオンを捜すというシンプルなストーリーラインを持ちながら、いまも決着を見ていない米軍基地と沖縄の問題を背後ににじませる。大友啓史監督にとっては、日本が直面するシビアな経済状況とエンタメを融合させた話題作『ハゲタカ』(09)と同様、娯楽性の高い人間ドラマと沖縄の問題を一つにしてみせた、新たな代表作と言えるだろう。

文/金澤誠

※森崎東の「崎」は「たつさき」が正式表記

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