【ネタバレなし】「ビタースイートな余韻」…映画ライターSYOが『九龍ジェネリックロマンス』 に秘められた“普遍性”をレビュー
累計150万部を突破した、眉月じゅんによる話題の漫画を実写映画化した『九龍ジェネリックロマンス』(8月29日公開)。舞台は、ノスタルジックで魅惑的な街、九龍。過去の記憶を失った鯨井令子(吉岡里帆)と、誰にも明かせない過去を抱える工藤発(水上恒司)の恋は、やがて街に潜む謎と交錯し、観る者を幻想と現実の狭間と誘っていく。いまは取り壊されてしまった街・九龍の路地裏や雑多な街並みを再現するためにほぼ全編を台湾でロケを敢行。竜星涼・梅澤美波・栁俊太郎ら豪華キャストの共演が物語にさらなる奥行きを与えるのも見どころだ。
一見するとSFやミステリーをまとったラブストーリーであるが、本作の核心に流れるのは「懐古」「郷愁」「喪失」といった普遍的な感情。誰もが一度は経験するそれらの痛みや切なさが、観客の胸に深い共感を呼び起こすはず。映画ライターSYOが、この特異な世界に隠された“人間ドラマ”の真価をひも解いていく。
吉岡里帆と水上恒司が導く、ノスタルジーあふれる魅惑の世界
九龍ジェネリックロマンス。実写映画化・アニメ化もされた「恋は雨上がりのように」で知られる眉月じゅんによる漫画は、多面的な要素を内包した作品だ。タイトルにある通りどこか懐かしさの漂う九龍(クーロン)を舞台にした男女のラブストーリーが展開するが、「九龍」と「ロマンス」の間にある「ジェネリック」が匂わす通り、SF要素やミステリーのテイストも含んでいる。ジェネリックとは元々「一般的な」という意味だが、いまやジェネリック医薬品(先発医薬品と同等の効果を持つ後発医薬品)での使用法が浸透しているだろう。いわばオリジナルと見分けがつかない代替品ともいえ、「ロマンス」という言葉と合体することで謎めいた雰囲気が漂い始める。先に生まれた恋と同じに感じられるが、本質的には違う後発的な恋を指す言葉なのか――。
『君は放課後インソムニア』(23)の池田千尋監督、吉岡里帆と水上恒司が共演した実写映画は、そうした観客の“予感”を増幅させる独特なシークエンスで幕を開ける。アンニュイな表情で夜空を見上げる工藤(水上)の意味深な姿を映したのち、画面は令子(吉岡)の起床シーンへと切り替わり(部屋の小物を映すカメラの動きもミステリー調だ)、ベランダに出た彼女が空を見上げると空にはプリズムめいた巨大な装置が浮かんでいる。アバンタイトル的な一連のシーンを経て、画面いっぱいに作品名が表示されるオープニング。この時点で「ただのラブストーリーではない」確信を得ることだろう。
懐かしい街並みと近未来的なガジェットのギャップ、時折不穏な構図やカメラワーク、「あんたは偽物だ」「永遠に懐かしい世界で愛する人と生きていける」等のセリフ、豪放磊落に見えてどこか陰のある工藤、なにかが欠落しているように見える令子――吉岡と水上の微妙なニュアンスを残す細やかな芝居も相まって、現実と夢が融解したような『九龍ジェネリックロマンス』ならではの世界観に呑み込まれる。