エロティシズムと暴力を叙情的に描いた「4つの名美の物語」で石井隆が貫いた、美しく悲しく淫らな世界観

コラム

エロティシズムと暴力を叙情的に描いた「4つの名美の物語」で石井隆が貫いた、美しく悲しく淫らな世界観

今となっては「自分の妄想では…」と半信半疑になるけれども、でも実体験なのである。都内の東中野にあった石井隆監督の事務所“ファムファタル”に伺った時のことだ。室内に入ると雨音がエンドレスで流れていた。それは石井監督自作のテープだったのかインタビューの間もずーっと続き、雨の調べと共にいつしか異空間へと己れが溶け込んでゆくのを感じた。

この感覚は、石井隆作品の肌触りそのものを想起させるのだが、幸いにもスクリーンでそれを味わうことが出来るとは! 没後3年に合わせて現在、『死んでもいい(1992)』(92)、『ヌードの夜』(93)、『夜がまた来る』(94)、『天使のはらわた 赤い閃光』(94)のHDリマスター版が特集「石井隆Returns」で上映中だ――共通点はヒロインに「土屋名美」という名前が与えられていること。つまりは順に、大竹しのぶ、余貴美子、夏川結衣、川上麻衣子が演じた「4つの名美の物語」が劇場で我々を待っているのだ。

劇画家から脚本家、映画監督に!女と男の愛の物語を描き続けた石井隆

劇画界の寵児から転身を果たした監督デビュー作は、原作と脚本を兼ねた日活ロマンポルノ末期の『天使のはらわた 赤い眩暈』(88)。哀切なメロドラマのファムファタル(=運命の女)である名美役に、イメージぴったりの余貴美子を挙げるが、当時の人気AVアイドル・桂木麻也子の起用が日活からの条件だった。相手役の“村木”は、石井劇画のファンだった竹中直人が務めた(共演者の柄本明を紹介したり、慣れない撮影現場に顔を出してフォローしたのは相米慎二監督だ!)。

石井隆自身が描いた名美のイラスト原画
石井隆自身が描いた名美のイラスト原画[c]石井隆 [c]Femme Fatale

実は元々の題名が『ヌードの夜』であった本作のラストシーンは、埼玉県朝霞の米軍基地跡にて夜間ロケを。「名美の待つ場所…1km先まで道路にロウソクを敷き詰めて、村木の“魂の滑空”を撮りたい」と提案し、ロウソクは却下されたが巨大送風機は用意してもらえ、煌めく雲母を飛ばしてその滑空を描いた。かようなエピソードからも分かる通り、石井監督は超こだわりの人。そんな彼と竹中直人、そしてカメラマンの佐々木原保志は遺作『GONIN サーガ』(15)まで同志的な付き合いを続けた。

2作目は映画ではなくオリジナルビデオ、“にっかつビデオフィーチャー”の一本、『月下の蘭』(91)である。念願の余貴美子と組み、名美だけでなく生き写しのバーのママの陽子という二役を任せ、村木的ポジションには以後、常連となる盟友・根津甚八が!

【写真を見る】大竹しのぶと永瀬正敏を演出する石井隆(『死んでもいい』のメイキング写真)
【写真を見る】大竹しのぶと永瀬正敏を演出する石井隆(『死んでもいい』のメイキング写真)[c]サントリー/日活/ムービー・アクト・プロジェクト

クライマックスの舞台は西武新宿線沿線の、とある廃墟化した建物内部だ。薄暗く錆びれた、しかし石井隆好みの劇空間で根津甚八は何度も何度もバイクを走らせ、取材に立ち会った筆者はじかにその雄姿を目撃した。音楽担当はこれを契機に石井隆作品のほとんどを彩ることとなる安川午朗。大胆な構図と長回し撮影。夜の闇。激しい雨と血。歌。廃墟。ネオン管の発色…などなど、『〜赤い眩暈』と『月下の蘭』で早くも作家的な審美性を際立たせるシグネチャーは出揃っていた。

純愛としての三角関係が招く悲劇を描いた『死んでもいい』

ちなみに『月下の蘭』の題字を司ったのは鬼才つながり、親交のあった実相寺昭雄監督であったが、縦書きのタイトル、独特の右上がり斜め書体が登場するのは『死んでもいい』からで、初の原作物、西村望の小説「火の蛾」を10年越しで映画化した。大竹しのぶ演ずる名美と夫(室田日出男)、行きずりの青年(永瀬正敏)との、もつれてしまった哀しき三角関係が綴られていき、公開時の石井監督の言葉で表すならば3人は「芝居のデスマッチ」を繰り広げる。

3人がもつれる長回しのバスルームのシーンは圧巻!(『死んでもいい』)
3人がもつれる長回しのバスルームのシーンは圧巻!(『死んでもいい』)[c]サントリー/日活/ムービー・アクト・プロジェクト

例えば終盤のバスルームでの長回しの場面、石井監督は室田日出男に「9分間、息をしないでください」とムチャぶりをした。普段、何でもやってのける猛者の室田もさすがに怒ったが、画面に大竹と永瀬を入れ込みながらの撮影で腹式呼吸を極め、背中で完璧に“動かない演技”を遂行した。この「バスルーム」というのも凶々しい出来事が起こる石井隆作品のシグネチャーである。第33回ギリシャ・テッサロニキ国際映画祭で審査委員長テオ・アンゲロプロスが絶賛、最優秀監督賞を獲得し、第10回トリノ国際映画祭では審査員特別賞と、海外でも注目される才能となった。


ここで『死んでもいい』の音楽について、一点付け加えれば、ちあきなおみの「黄昏のビギン」がカーステレオから流れてくるシークエンスの叙情性が秀逸で、堪らない! 前作の『月下の蘭』のエンドロールは流行歌「星影の小径」のインストバージョンであったが、実はちあきのカバーで有名な楽曲でもある。その存在と歌は彼のつくる物語にとって重要なサウンドトラックなのだ。また映画冒頭には石井隆の原案、脚本、相米慎二監督の唯一のロマンポルノ『ラブホテル』(85)で名美役を担った速水典子が顔を見せている。彼女こそは石井組を長きに支えた“裏ミューズ”であろう。