“芸術は世界を変える”カンヌで示された映画の力。パナヒ監督が三大映画祭制覇の快挙、アワード戦略が得意なNEON、MUBIの躍進も
カンヌ国際映画祭とアカデミー賞の関係がより密接に
近年のカンヌ国際映画祭は、アワードシーズンの始まりとしての重要性を増している。2024年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞したショーン・ベイカー監督の『ANORA アノーラ』(24)が、2025年3月の第97回アカデミー賞で作品賞を含む5冠を達成し、『マーティ』(55)、『パラサイト 半地下の家族』(19)に続く3本目のカンヌ&オスカー受賞作となった。
カンヌ国際映画祭で上映された作品が合計31部門でアカデミー賞にノミネートされるなど、カンヌ国際映画祭とアカデミー賞の距離は確実に近づいている。この背景には、アカデミー賞投票会員の多様性向上がある。映画芸術科学アカデミー(AMPAS)は、2015年と2016年の「#OscarsSoWhite」運動を受け、多様性を広げる取り組みを積極的に行ってきた。2016年以降、投票会員は倍増し、非白人、女性、外国人の割合も大幅に増加した結果、カンヌをはじめとする国際映画祭で評価される作品がアカデミー賞でも受け入れられるようになった。カンヌ国際映画祭は9人の審査員によって受賞作が決まり、アカデミー賞は約1万人の投票会員が選ぶので完全一致するわけではないが、AMPAS会員構成の国際化により、多種多様な作品が注目されるようになった。
米配給会社のNEONは、カンヌ国際映画祭の注目作品をオスカーに送り込むアワード戦略を得意とする。今年パルム・ドールを受賞した『It Was Just An Accident』を含め、6年連続でパルム・ドール作品の北米配給権を獲得している。昨年は、アカデミー賞フランス代表から漏れた『落下の解剖学』(23)を国際長編映画賞以外の部門でも推し、ジュスティーヌ・トリエに脚本賞を獲得させた実績もある。NEONはほかにも、グランプリの『Sentimental Value』や、監督賞と男優賞を獲得した『The Secret Agent』といった主要受賞作の北米配給権を獲得しており、これらの作品も来年のオスカー戦線で有力な候補となることが予想される。
一方、新興勢力MUBIの躍進も注目されている。イギリス発の映画ストリーミング会社MUBIは、アートハウス映画やインディペンデント作品に特化した配信サービスとして世界中の映画愛好家から支持を集めている。近年は配信サービスとしてだけでなく、映画の製作や配給にも積極的に参入。傘下に映画祭や世界各国の配給会社に映画を届けるセラーのMatch Factoryを擁し、今年のカンヌ映画祭コンペティション部門に出品されたケリー・ライカート監督のクライムドラマ『The Master Mind』で製作から配給まで手掛けるなど、存在感を強めている。
芸術の持つ力を提示した、2025年のカンヌ国際映画祭
開会式で名誉パルム・ドールを受賞したロバート・デ・ニーロは「芸術は真実を求め、多様性を受け入れる。だからこそ、芸術は独裁者やファシストにとって脅威なのだ」とスピーチを行った。授賞式後の審査員団記者会見で、審査員長のビノシュは、2010年のパナヒ監督収監に対するカンヌ映画祭の抗議と、その3日後の監督釈放を引き合いに、「芸術は常に打ち勝ちます。芸術は世界を変えることができます。芸術は声にならない声を代弁し、世界に印象付け続けるでしょう」と語った。
審査員を務めたジェレミー・ストロングは「映画祭が始まった時、ジュリエットは世界に優しさをもたらすことについて語り、ロバート・デ・ニーロは、ファシストは芸術を恐れるべきだと語りました。受賞作品の選択は、私にとってこれらの原則を反映したものです」と述べ、記者たちから拍手が起きた。
閉会式当日、カンヌの街は大規模停電に見舞われたが、メイン会場は独立電源で難を凌いだ。変電所への放火と送電鉄塔の破壊が原因とされている。カンヌ国際映画祭は政治や社会情勢について公式見解を示すことはなく、コンペティション部門の審査は9名の審査員団に一任されている。映画祭会期11日間で、ビノシュと審査員団は22本の映画を観て、世界について、社会について様々な想いを巡らせ、議論を重ねてきた。その結論として、映画という芸術が単なるエンターテインメントに留まらず、激動する世界情勢や社会的な課題、そして不可解な妨害行為すらも乗り越え、その力を示す場であることを提示した。華やかなレッドカーペットを闊歩するセレブリティの姿や、連夜行われる海岸沿いのパーティに多くの注目が集まる映画祭だが、最も注目される受賞結果は政治的なメッセージを込めた年となった。
●コンペティション部門受賞結果
パルム・ドール:『It Was Just An Accident』ジャファール・パナヒ監督
グランプリ:『Sentimental Value』ヨアキム・トリアー監督
審査員賞:『Sirat』オリヴァー・ラクセ監督、『Sound of Falling』マシャ・シリンスキー監督
監督賞:『The Secret Agent』クレベール・メンドンサ・フィリオ監督
特別賞:『Resurrection』ビー・ガン監督
女優賞:ナディア・メリティ『La petite derniere』(アフシア・エルジ監督)
男優賞:ワグネル・モウラ『The Secret Agent』(クレベール・メンドンサ・フィリオ監督)
脚本賞:『Young Mothers』ジャン=ピエール・ダルデンヌ監督、リュック・ダルデンヌ監督
文/平井伊都子