応答せよ、世界!『片思い世界』の“叫び”に込められた痛烈な無念【小説家・榎本憲男の炉前散語】

応答せよ、世界!『片思い世界』の“叫び”に込められた痛烈な無念【小説家・榎本憲男の炉前散語】

『片思い世界』にみる、リアルさを越えた意義深さ

ただ、このような野心的な物語設定は、作劇上さまざまな困難を抱え込むことになっています。かつて彼女たちが生きていた世界(A)と死後の世界(B)が重ね合わせられるように描かれ、彼女たちは生前の世界を観察することはできるが、向こう(A)は彼女たち(B)を認識できず、さらに彼女たちも観察はできるが、(A)に干渉はできないというややこしい設定を、観客に飲み込んでもらうのは至難の業です。

さらに、彼女たちが目標を達成するためには世界(A)と(B)をなんらかの方法でつなぐ必要があるのですが、はてどうやって?という問題も浮上する。紹介されている量子学の極論はかなり苦しいと言わざるを得ません。一番簡単な解決法は、同じような状況を、前半と後半に作り、奇跡を反復させるというやり方(ロバート・ゼメキス監督の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』やペニー・マーシャル監督の『ビッグ』など)なのですが、本作ではこの手は使えない。そして、三人がそれぞれに世界の応答を求めて行動するので、観客はその解決を順番に見ていくことになり、やや段取りっぽく感じられるかもしれません。

『ビッグ』では、ある日を境に身体だけが13歳から30歳に変わってしまった主人公を描く
『ビッグ』では、ある日を境に身体だけが13歳から30歳に変わってしまった主人公を描く[c]Everett Collection/AFLO

しかし、それでもなお僕は本作を推します。エーリッヒ・フロムが語っているように、人間存在とは基本的に孤独で、世界から切り離されてしまった存在です。人は、この切り離された状態から脱して、世界と関係を持ち、一体化することを求めないではいられません。「孤独を脱して他者と一体になりたい」という欲求はどうすればいいのか、「その答えは愛の中にある」とフロムは言います。(『愛するということ』)

典真を演じた横浜流星は本作でピアノに初挑戦
典真を演じた横浜流星は本作でピアノに初挑戦[c]2025『片思い世界』製作委員会

「愛だけが、人間存在の問題への唯一の、健全で満足のいく答えである」(岸見一郎訳)と。
ラスト近く、三咲(広瀬)と典真(横浜流星)とが、本当ならば演じられるはずだった音楽劇の台詞を媒介にして結ばれるファンタジックなシーンから得られる感動は、なんとなく結ばれてなんとなく別れていく『花束みたいな恋をした』のリアルな痛みを凌いでいるのです。


文/榎本 憲男

■榎本憲男 プロフィール
1959年生まれ、和歌山県出身。小説家、映画監督、脚本家、元銀座テアトル西友・テアトル新宿支配人。2011年に小説家、映画監督としてデビュー。近著には、「アガラ」(朝日新聞出版)、「サイケデリック・マウンテン」(早川書房)、「エアー3.0」(小学館)などがある。「エアー2.0」では、第18回大藪春彦賞の候補に選ばれた。映画『カメラを止めるな!』(17)では、シナリオ指導として作品に携わっている。


小説家・榎本憲男の炉前散語

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