第97回アカデミー賞の受賞結果に見る、インディペンデント映画へ射した光明
授賞式は、本質的なメッセージにフォーカスし好評を博す
アカデミー賞を運営する映画芸術科学アカデミーは、年々低下する視聴率に頭を悩ませてきたが、今年は5年ぶりに視聴数が増加し明るい兆しが見えた。生放送の視聴者数は1,969万人と前年より約20万人増加、18〜49歳の視聴者が約20%増加、18〜34歳では28%増加という若年層の取り込みに成功した。ABCのテレビ放送に加え、系列ストリーミング・サービスでの生配信も初めて試みられた。主演女優賞と作品賞の発表前に生配信が終了するという痛恨のミスはあったものの、若い視聴者の獲得には寄与しているはず。生放送番組のテレビ放送と配信のサイマルは常態化していくと思われる。
コナン・オブライエンの軽快な司会進行も好評を博した。政治的言及を最小限に抑えつつも、長時間の授賞式を「誰も嫌な気分にさせない」絶妙なバランス感覚で乗り切ったことが評価された。言葉で政治的立場を表明するのではなく、アカデミー会員が選んだ作品のテーマそのものから考えてほしいという気概が感じられる。
特に、『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』の長編ドキュメンタリー賞受賞時に、イスラエル人監督とパレスチナ人監督の2人が肩を並べて紛争終結を訴えたスピーチは、多くの視聴者の心を打った。また、国際長編映画賞の『アイム・スティル・ヒア』は軍事政権下のブラジルで家族を襲った悲劇を描いた作品であり、政治的分断が深まる現代アメリカにおいて、エンタテイメントの祭典としての性質を保ちながらも現実の問題を想起させるという難題への一つの回答を示していた。実は、紛争が多発するヨーロッパにおけるカンヌ映画祭も同様のスタンスを取り、映画祭としてステイトメントを発表することはしないが、審査員の作品選びとアーティストの発言を妨げることはしなかった。
加熱するアワードキャンペーンの問題点
今年のアカデミー賞に至るまでの賞レースは、過剰なキャンペーンが抱える問題も浮き彫りにした。主演級の出演時間で助演賞ノミネート(その逆もあり)という「カテゴリー詐称」は新しい問題ではないが、システム自体への疑問を投げかけるものだ。また、『エミリア・ペレス』でトランス女性として初の主演女優賞候補となったカルラ・ソフィア・ガスコンの過去のSNS投稿をめぐるスキャンダルや、『ブルータリスト』のAI使用問題は、デジタル時代ならではの課題を突きつけた。アワードキャンペーンにおける危機管理の重要性が再認識され、アワードパブリシストはSNSの過去投稿や問題発生時の対応策を含めた綿密な戦略を練る必要に迫られている。アワードキャンペーンにおいて、こうしたリスク管理はますます重要になっていくだろう。
前述したように『アノーラ』は製作費の3倍にもなる広告宣伝費を費やし、他のスタジオも平均1,000万ドル(約15億円)から5,000万ドル(約74億円)という莫大な費用をかけると言われている。かつてはアカデミー賞候補作を劇場で再上映すると興収増が見込めるためこれだけの宣伝費がかけられたが、パンデミック以降の伸びは厳しくなっている。その代わり、各配給会社は2月、3月のアワードシーズンにどのストリーミング・サービスに配信権を売るかに勝負をかける。DVDなどのソフト販売やPVOD(課金型デジタル配信)と異なり、SVOD(サブスクリプション型配信)の二次使用料分配は明朗化されていない。ショーン・ベイカー監督がスピーチで訴えかけたインディペンデント作家の困窮は、このような映画ビジネスモデル、ライフサイクルの変化にも起因している。
『アノ―ラ』の受賞に見た、創造性を尊重する微かな希望
ハリウッド映画産業は近年、パンデミック、組合のストライキ、ロサンゼルス郡の山火事など、未曾有の困難に何度も直面してきた。しかし、最大の課題はスタジオシステムの機能不全と言えるかもしれない。大手スタジオは安定志向のフランチャイズ作品に依存し、中規模予算の映画は減少。アメリカ映画は超大作と低予算インディーズ作品の二極化が進み、その中間にあった作品は映画館での上映機会を失い、ひっそりとストリーミング・サービスで配信されるのみ。新メディア立ち上げで膨らんだ赤字を補填するための業界再編や買収合併が続き、雇用は減少の一途をたどっている。
作品賞受賞スピーチで「インディペンデント映画万歳!」と拳を上げたベイカー監督の力強い宣言は、単なる勝利の喜びを超えた切実なメッセージとなった。特に重要なのは、彼がどの映画賞でも強調していた「映画館で上映される映画を作り続ける」という決意表明。ストリーミング全盛の時代において、彼のようなクリエイターを育んできた映画鑑賞経験を守ることの重要性を改めて提起した。『アノーラ』だけでなく、作品賞候補の大半を占めるインディペンデント映画に投票したアカデミー会員は、クリエイティビティを失ったスタジオとすでに立ち行かなくなっているシステムに反旗を翻したのではないかと思う。
インディペンデント・スピリット賞のスピーチでベイカー監督が指摘したように、インディペンデント映画の制作者たちは映画業界全体の雇用と収益を生みだす作品を制作しながらも、不安定な収入で活動を続けている。『アノーラ』の主人公アニー(マイキー・マディソン)が雇用主に勤務時間を守れと言われ、「健康保険、労災保険、401K(拠出型年金)を提供してから言って」と言い返す場面は、不安定な雇用と低賃金という映画制作の現状を鋭く描きだしている。セックスワーカーの物語を通して、実は映画産業を含む全労働者の物語が語られているのだ。
『アノーラ』とショーン・ベイカーの受賞結果からは、創造性と誠実さを尊重する土壌がまだこの業界に存在するという微かな希望が感じられる。映画ファン向けSNSのLetterboxdの流行により若年層の観客がインディペンデント映画を劇場で鑑賞する機会が増えているとの指摘もある。スタジオの戦略だけでなく、観客の選択も映画の未来を左右する重要な要素だ。映画というメディアの力と可能性を信じるすべての人にとって、今年のアカデミー賞結果は、困難のなかにも希望を見出す光明となったのではないだろうか。
文/平井伊都子