作家・燃え殻が映画『mentor』の深遠な人間描写に感じた恐怖と共感「人は誰もが自分の過去に意味を見出したくなる“運命論者”」
「人の“本当”ってみんなグロいから、行動で見せてくれよって思う」
――登場人物は、善にも悪にも揺らぎ続けますね。
「全員揺らぐ。いい人だと思って観てると『いやいや、よくないか。一回信じそうになったわ!』みたいに(笑)。でも実際の人間は、そうじゃないですか。実は今年、僕の母が亡くなったんです。父が毎朝、母の好きだった味噌汁を作って遺影に供えてるんですけど、うちの父親は、そんなにいい人じゃなかったと僕は思ってるんです。でも、もう10か月ぐらい毎日それをやっている。父がいい人かどうかは、まあ置いといて、少なくともいまそれができているなら、誠実な人に思えてくる。気持ちの中にはいろんな邪心が入るし、自分も日々、悪いことも、いいことも考えたりするけれど、行動さえ伴っていれば、それがその人の人格になる。この映画を観ながら、父のことを思い出したりしていました」
――周りから「こいつはそういうやつだ」と思われるくらいその行動を続けていれば、それが真実になるということですね。
「そう思うんですよねえ。『俺、本当はさ…』とか言われても、『いや、別にいまお前の“本当”とかいらないから。いいから行動で見せてくれよ!』って思うんですよ。人の“本当”ってみんなグロいから、見せられたら『ほら、やっぱりグロい!』ってなる。でも、行動が揺らがなかったとしたら、『その人はそういう人だ』になる。収まる、きっと」
――そういう意味では、埜本が、“なにを本心にしたかったのか”も、気になります。
「結局わからないですよね。怒りは6秒待てばやり過ごせるというセリフが、映画の中に出てきますが、6秒数えた先が自分の本当の気持ちだ、あれが本当の自分なんだと思いたかったんじゃないかな。彼が最後まで本当に6秒待てるかどうか、が見ものです。それから人は誰もが、自分の過去に意味を見出したくなる“運命論者”なんだよなあ、と考えさせられました。『この傷にも意味があった』『ここで会ったのも運命だ』と思いたい。でも僕は『運命』という言葉がすごく怖いんです。後から『それも運命だった』と言い切れるぐらいやり切れば、どんなに道を外れていても運命にできてしまうので。『これも運命』『あれも運命』って、まるで“運命の点呼”を取っているみたいだなって、運命に翻弄されるあの3人を観ていて思いましたね」
――“運命の点呼”って、名言ですね(笑)。
「結局のところ映画『mentor』を観ていると、いつまで経っても、一度負った傷は癒えない、と感じました。埜本が負っている物理的な火傷の痕もそうですが、出てくる人たちの様々な傷も基本的には癒えない。ただ、龍之介がアーチェリーに夢中になるように、人はなにかに熱中することで、傷をやり過ごすことはできるのかな、って。この作品が伝えたいテーマとは、真逆かもしれませんが(笑)」

