「映画は“人生の予行練習”」押井守が語る、フィクションの役割と人生の本質に迫る「コーチ映画」【押井守連載「勝手にジャンル。」第1回後編】
「恋愛も仕事も闘いについても、昔の映画ファンは映画で人生の予習をしていた」
――お金持ちの人たちって、もっともっとと果てしなく稼ごうとするじゃないですか?あれはなぜなんですかね。あの世にお金はもっていけないのに。
「それは達成感を満たすためだよ。幸福を追求することと自己実現を追求すること、つまり達成感を追求することがいつの間にかイコールになっちゃった。あるいはすり替わった。地位や名誉、財産と言うのはもっともわかりやすい達成感でしょ?しかし、その達成感は自分の人生のなにを保証してくれるのか?それは年を取ってくるとだんだんわかるようになる。若いと難しい――当たり前だけど。では、若い人たちはどうやればそんな知恵を手に入れられるのかといえば、痛い目に遭うしかないんです。だから、優れたコーチは必ず負荷をかける、『セックスするな』ってね(笑)。ほら、丹下段平も世界一負けん気の強い矢吹ジョーを追い込んでディフェンス力を教え込むじゃないの。一番大切なことは一番学びにくい。なぜなら資質として自分に備わっていないからだよ。
何度も言っちゃうけど、教育はいいところを伸ばすんじゃなく、ダメなところを叩き潰すんです!」
――押井さんは鳥海永行さんを師匠としていましたが、そういうふうに指導してもらったんですか?
「そうです。師匠に褒められたことなんてほぼないから。ラッシュを2人で見ながら、師匠はワンカットずつダメ出しする。私は側に立ってそれを聞いてる。『なぜカメラをここに置いたんだ?』とかね。いいところを褒めることはなく、ダメなところをどんどん並べて行く。すっごく勉強になりましたよ」
――自尊心は木っ端みじん?
「いや、最初に『いま、私についていることが優れていることの証明だ』みたいなことを言ってくれたから耐えられたかな(笑)。実際、私以外の弟子はみんなクビ。一番早いヤツで入社したその日の午前中に『お前はクビだ』だった。独立してからもほとんど褒めてもらえなかった。毎回、作品が仕上がると見てもらっていて、褒められたのは『天使のたまご』と『攻殻機動隊』だけだった。『攻殻』は自分でも手応えがあったけど『天たま』はなぜ褒めてくれたかわからない。ずっと『お前は職業監督なんだから』と言われ続けていたから謎なんですよ。早くに亡くなってしまったのでもう訊ねることもできないんだけど」
――ということは押井さん、お伺いしていると『さよならゲーム』は人生の指南書でもある感じですね。
「そうです。コーチ映画を山のように観て来て精査した結果が『さよならゲーム』です。コーチ映画のすべての条件を満たしているだけではなくキャストも文句なし。ケビン・コスナーとおばさん役の…誰だっけ?」
――スーザン・サランドンです。
「この2人がすばらしい。挫折した人間を演じられるというのは優れた役者の条件の一つですよ。セリフもすばらしく、彼らが口にするからより輝くんだよね。さらに、ちゃんと人生の指南書にもなっている。優れた映画に出会うということは、そのまま人生の学びになる。なぜなら、映画は“人生の予行練習”だから。
昔の映画ファンは映画で人生の予習をしていた。恋愛も仕事も闘いについてもそう。人間について教えてくれるから。文学読むのといってみれば同じ。フィクションがもっている最大限の機能なんです。世の中を変えるというような大仰なことじゃなく、それを観たり読んだりした人間に人生の指針を与えてくれる。そうじゃなくても暇つぶしにはなる。これがフィクションの最低限の役割だよ。私はその最低限だけは守ろうとしているんだけど(笑)」
――『さよならゲーム』の存在自体が、私たちにとっては“コーチ”ですね。
「映画そのものが師匠の役割を果たしているからね。それにラブストーリーとしてもちゃんと機能していて本当にすばらしい。優れたコーチ映画は人生の本質にも触れさせてくれる――次に紹介するのもまさにそういう映画。私の大好きなこの監督の作品はおしなべてコーチ映画と言ってもいいんじゃないのかな」
――なるほど!その監督が気になりますが次回、よろしくお願いします。
取材・文/渡辺麻紀
