人々が東野圭吾作品に魅了された理由とは?“やむにやまれぬ”事情を描く、ドライだけど登場人物それぞれの人生を見過ごさないこと
訃報(7月27日)の翌週には、あの「ガリレオ」シリーズ最新作「永遠の記憶」が発売。さらにその1か月後、9月4日(金)には最新映画化作品『白鳥とコウモリ』が公開される。不謹慎ながら、東野圭吾の逝去そのものが巨大なトリックなのではないかと思えるほどの現役感、そして親近感だ。彼が国民的人気作家であったのは間違いないが、それ以上に“すぐそばにいる”感覚が読者にはあったのではないだろうか。
エンジニアでスポーツマン。異色の経歴が推理小説向きだった
福山雅治、阿部寛、木村拓哉ら登板したスタアの名を出すまでもなく、映画化、ドラマ化の多い推理作家であった。シリーズもののみならず、単発の感動名作も数知れず。ミステリーの枠組みを平易に拡張する大らかな試みと文体が愛される要因だったし、映像メディアと相性がよかった所以だろう。
工学系の大学出身であり、売れっ子作家になる前はエンジニアだった。学生時代はアーチェリー部で、40代からスノーボードに夢中になったスポーツマン。つまり、アタマもカラダもキレキレなわけで、数学脳が必要な推理小説はうってつけのフィールドだったに違いない。
だが、東野が創り上げる意外性は、トリッキーではなかった。事件を解明するためには当然、理詰めにはなる。だが、犯人を追い込むのではなく、どのような“やむにやまれぬ”事情があったのか、その浮き彫りのさせ方に意外性があった。
人それぞれが“どのように生きてそうなったか”を見過ごさない
特異な殺人を描くのではなく、犯罪の背景にある特別な人間模様を見つめる。逆に言えば、どんなに平凡に見える人物にも、その人だけの人生があることを指し示す。“やむにやまれぬ”決断がどのように生まれたか、その道筋を照らしだす。だから断罪はしない。しかし人情に傾いた感涙系でもない。どこかドライでモダンだが、それは人それぞれが“どのように生きてそうなったか”を見過ごさないためでもある。
つまり、現代の言葉で言えば多様性だ。人はそれぞれに特別な存在だが、時に選択を誤ってしまう。決してそれを肯定するわけではないが、罪も失敗も挫折も落伍も全部、固有のものとして取り扱う。それもまた特別な人生なのだ。
