佐藤二朗が原作・脚本・主演を務めた渾身の一作『名無し』で描いた“負”を抱えた者への眼差し「当たり前や既成概念に冷や水をかけたい」
「些細なことで『明日も生きてみようかな?』ってちょっとだけ前を向ける話にどうしても惹かれてしまうんです」
自分が監督するつもりで書いていたホンを城定監督に委ねたのはなぜなのか?気になって尋ねると、「プロデューサーの武部(由実子)さんから『監督をやるなら出ない。主演にこだわるなら監督は別の人』って言われたんです」と述懐する。
「でも、結果として武部さんにも城定監督にもすごく感謝しています。職人としてプロフェッショナルで、いろいろな撮り方のノウハウを知っている城定監督によって作品がよくなったのもそうだけど、僕が演じたい、こういう世界を作りたいと思って書き始めたホンを(客観的な視点を持った第三者の)城定監督が形にしてくれる流れがすごくよかったんです。ベン・アフレックとマット・デイモンは『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』のホンを自分たちで書き、出演もしたけれど、監督はガス・ヴァン・サントでしたよね。その形は日本にはあまりないから僕がやるのもおもしろいかなと思ったし、いつかはやっぱり監督をやりたい!って気持ちになることもあるかもしれないけど、いまはとにかく次も原作・脚本・主演で僕はやりたいと思っています」。
とはいえ、この救いようのない残虐な物語は紛れもなく佐藤二朗から生まれたもの。佐藤自身が演じた山田の凶行、“冷水を浴びせる”どころではない地獄絵の連続に目を背ける人もいるかもしれないし、どうしてこんな残虐な映画を作ったんだ?と首を傾げる人も少なくないだろう。
「これを観て、いろんな解釈をする人がいると思います。今日の朝いちばんに取材をしてくれた記者さんなんて『現代のSNSの世界に対する反発じゃないですか』と言っていて。『なんでも消してしまう山田の右手の刃物は(簡単に人を傷つけられる)スマホを象徴するもので、通り過ぎる人を次々に斬りつける山田は(ネットで自分の正義を振りかざす)匿名のユーザーなのでは?』というその人の持論を聞いた時は、なるほどと思ったけれど、俺、そんなこと全然考えてなかったんです。別に世の中に対して怒りたいとか、物申したいってことでもないんですよ」。
「意識していることを強いて言うなら、神の存在、神の立ち位置みたいなことかな?」と噛み締めながら続ける。
「水野美紀さんが以前、雑誌のインタビューで『もしかしたら二朗さんご自身も“負”を抱えた側にいると思われているかも』って話していて。それを読んだ時に『確かにそうかもな』と思いました。さっき話した舞台『そのいのち』には実際に脳性麻痺の俳優さんに出てもらったし、監督と脚本を兼任した『memo メモ』は強迫性障害を患った女の子が主人公。監督と原作、脚本を手掛けた『はるヲうるひと』は虐げられた遊女たちの話で、みんな“負”を抱えている。でも、僕は“負”を抱えた人間がすごくいいことになっていく話にはあまりグッとこなくて。些細なことで『明日も生きてみようかな?』ってちょっとだけ前を向ける話にどうしても惹かれてしまうんです。
世の中、当たり前に理不尽だし、神様が同じカードを同じようにすべての人に配るわけではない。神様から貧困なカードしか与えられなかった人もたくさんいますからね。ただ僕は、そんな神様の気まぐれなカード配りに人間の温もりとか繋がりとか、小っ恥ずかしい綺麗事が負けてほしくなくて。そんな想いがどの作品のホンを書く時にもこれまではありました」。
