理不尽に人々が死んでいく…“新しい恐怖”に挑んだ『災 劇場版』関友太郎監督&平瀬謙太朗監督インタビュー
ある日どこかで人が死ぬ。まるで無慈悲な“災い”に見舞われたかのように、何の前触れもなく、唐突に。それ自体は世界中で繰り返されている営みだろう。しかし、亡くなった人々の日常に、必ず、同じ【ある男】が紛れ込んでいたとしたら…。『災 劇場版』(公開中)は、そんな不気味な恐怖を描いた異色のサイコ・サスペンスだ。香川照之が1人6役以上で「男」を怪演。中村アン、竹原ピストル、宮近海斗、中島セナ、松田龍平、内田慈、藤原季節、じろう(シソンヌ)、坂井真紀、安達祐実、井之脇海といった豪華キャスト陣が顔を揃え、密度の高いドラマを織りなしている。PRESS HORRORでは、本作を手掛けた監督集団「5月」の関友太郎と平瀬謙太朗に話を訊いた。
「『災いの比喩としての存在を誰が演じるべきか』を追求していくと香川さんしかいなかった」(関)
これは新手の“Funny Games”かもしれない。イヤ〜な時間が持続し、さらに、不可解な通り魔的な怖さが雪崩れこんでくる。ミヒャエル・ハネケ監督の『ファニーゲーム』(97/セルフリメイク版は08)みたいな。『災 劇場版』でユニットを組む監督・脚本・編集の2人にそう伝えると、平瀬謙太朗は「好きな映画です」と答え、関友太郎のほうは「自分の全身に行き渡ってますね。ハネケの作品成分は」と続けた。
2025年に放送され話題を呼んだWOWOWの連続ドラマW「災」の全6話分を解体、大胆にリビルトした『災 劇場版』は、象形文字的に人型モンスターを思わせるタイトルロゴからして秀逸だ。そもそも「災」の字の下の部分は、人間に破滅をもたらしかねない「火」。上の「巛」は川で、元々は揺らぐ三本線の真ん中に川の流れをせき止める「-(横棒)」が付いており、すなわち洪水+火の組み合わせなのだ。
平瀬「あのロゴは、字書三部作で知られる白川静さんの『字通』(平凡社刊)に載っている旧字体のものでして。台本を刷る時に、表紙に象徴的に『災』という文字をデザインしたくて、漢字の成り立ちを調べていて行き着きました。見た瞬間、『どこか人っぽくもあるなあ』と。それがきっかけで、作品のロゴとして採用することに。こうやって、作りながら、自分たちも色々な発見をしています。もうひとつ、作りながら生まれたものの代表的な要素は『災い』という作品のテーマです。はじめから決めていたことではなくて、脚本を書き出してから生まれてきました」
関「最初のアイデアでは複数の舞台で、登場人物たちの話がバラバラにあって、ある男=殺人鬼だけが毎回登場する、という構成だったんです。映像手法に合わせて仮タイトルを付けたのですが、それが『迫り来る殺人鬼』みたいな…」
平瀬「今、振り返ると身も蓋もない(笑)」
関「そうだったね(笑)。この『バラバラの話』と『毎回出てくる【ある男】』のフォーマットを活かすなら、殺人鬼よりも『災いそのものの存在』として立たせていくほうがオリジナリティが出てくるんじゃないかとある時気づいたんです。僕らの企画の作り方は、まず映像の構造や手法を話し合い、面白いと思える“器”が見えてきたら、その器に最適なストーリー運び、キャスティング、音楽などを組み合わせていく。そこが、通常の映画作りとは少し違うところかなと思います。普通だったら、ストーリーやテーマが先だと思うので。香川照之さんとは僕らの長編デビュー作『宮松と山下』でもご一緒したのですが、だからお願いしたわけでなく、作品の構造が定まったあとに、『1人6役以上の【ある男】、災いの比喩としての存在を誰が演じるべきか』を改めて追求していくと香川さんしかいませんでした」
「動的に殺人を犯す表現はないからこそ、結果としての死を美しく映像に収めたかった」(平瀬)
ちなみに『宮松と山下』の共同監督は、2人の「東京藝術大学大学院映像研究科」時代の恩師である佐藤雅彦氏。監督集団「5月」を組み、手法自体がテーマを担うスタイルを早くから実践している。佐藤氏つながりで言えば『災』は“ヤバ過ぎるピタゴラスイッチ”なのだ。不条理の連鎖反応によって次々と人が死に、その結節点にはなぜか必ず【ある男】の姿が! 漁師、塾講師、トラックドライバー、理容師、酒屋業者、警察署の用務員、水泳インストラクター、牧草を運びにきた男…一体、何者なのか。確実なのは、死体の数々と無関係ではないこと。
関「つくっていくモチベーションに『こういう画を撮りたい、こんな世界像をカメラを通して残せたら』というのがあります。『災』では“死に様”、各人物の死んでいるカットに一番、力を入れていました」
平瀬「この企画では動的に殺人を犯す表現はまったくなく、死んでしまった…という結果だけが観客に提示されます。だからこそハッと息を呑むような、『人が死んでいるのに何故かくも綺麗なんだろう』と感じさせる強い画の力が必須で。絵画のように美しく映像に収めたい、という想いは、最初からのヴィジョンとしてありました。なので、死体のカットだけコンテを描いて、スタッフの皆さんにお渡しして」
関「この映画は、安達祐実さん演じる赤いジャンパーを着た女性が海に浮かび上がるシーンから始まります」
平瀬「そこにタイトルが入る。どんなふうに、どういうタイミングで入れるかが重要。ドキドキさせて観客の集中力を一段と高めたいから。タイトルが画面真ん中に位置するので、安達さんの体をズラしたり顔を見せないように微調整をしました。グラフィックとして美しい画を撮りたかったので」
関「高校生役の中島セナさんは落下死をしたあとの、折れた脚の角度にこだわって」
平瀬「あれはコンテでたくさん、曲がり方を描いてみたよね」
関「角度によっては怖さではなくて可笑しさが勝ってしまうこともあって苦労しました。いびつにしすぎると、怖くなくなっていくんですよね。そうやって試行錯誤しながら、最終的には良いビジュアルになったなあと思います」
平瀬「2人のイメージが合致するまで、擦り合わせをして」
関「セナさんはこう語られることが嬉しいのか分かりませんけど、本当に死顔がすばらしくて。独特な世界観を築き上げていたんですよ。脚のニュアンスは僕らがつくるものなので、彼女のせっかくの死に様を無駄にしてはいけない、というプレッシャーはありましたね」
ひとつひとつの死体描写で完結するのではなく、謎が増幅し、唐突な、厄災としての死がまた次の物語を生み出す作品構造。緊張感は弛まず、気の休まる瞬間がなくて、これが癖になる。
平瀬「特にドラマ版のほうが顕著なのですが、2話目くらいから、もう誰かが死ぬことは自明なので、いつどこで誰がどう死ぬのかが観る人の関心事になっていきます。だからこそ、死体のカットというのは、この作品において、もっとも大切なカットなんです。僕たちにとっても挑戦でした。クランクインの時に、スタッフの方々には『新しい恐怖』に挑戦したい、と、この作品の目指すところを宣言していました。その模索に、特殊造形の吉田茂正さん、撮影の國井重人さん、照明の鳥羽宏文さんを始め、精鋭の皆さんが十全に応えてくれましたので、望んだ画になったのだと思っています」
関「死に様には注力しましたが、当然その手前の流れも大切でして。小さな希望や幸せをつかみかけていたのに、唐突に、無慈悲に死が訪れる。そのギャップが激しいほど、死体がショッキングだったりヴィヴィッドに映えたりする。その落差をちゃんと演出するよう、意識はしていました」

