アイドルを“リアルな人間”として描くことに成功した深田晃司監督『恋愛裁判』。その映画的思考と人生観【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】
――自分としてはわりとシンプルに「でも、そういう映画は当たらないじゃん」っていう思いもあり、別に監督本人にとっては撮りたいように作品を撮れればいいのかもしれないですが、それでコンスタントに映画を撮り続けることって、海外の映画祭での評価を頼りにするなどしながら、よほどうまくやらないとできないじゃないですか。
深田「いやあ、興行と作品性の話になってくると、これは本当にもう複雑ですね。 基本的に、普段から多様性こそが大事みたいなことを言ってる立場としては、商業性の高いものと商業性の低いものが共存できるのが多様性のある社会だとは思ってはいるんですけど。日本の場合、そこがすごく中途半端になってると思っています」
――というと?
深田「商業性の高い作品と、作家性の強い作品、結局はどっちつかずになってしまいがちなんで。助成金が充実しているフランスとかだと、商業性の低い作品でも助成金が下りて、そういう作品でも2億円とか3億円で撮れるみたいな環境があるわけです。そういった環境だと、例えば…極端な例で言うと、リュック・ベッソンはリュック・ベッソンのまま映画を撮れて、(ジャン=リュック・)ゴダールはゴダールのまま映画を撮ることができる。別にゴダールはリュック・ベッソン的なる商業映画に歩み寄る必要はないわけです。もちろん、これはあくまで例えですし、ヨーロッパでも資金集めの苦労はありますが、日本の場合はよりそれが厳しい。だから、収益性がより強く重視されがちで、キャステイングの選択肢も狭まるし、人気のある原作が求められたり、脚本もある程度わかりやすく間口を広くしなくちゃいけないとか、仮に作家性やアート性の強いタイプの監督だったとしても、そういったこととのせめぎ合いの中で作らざるを得ないので。もちろんそこからおもしろい作品が生まれるケースもあるんですけど。でも、そういう環境だと作家性も商業性もどっちつかずみたいなものにもなりがちで。一方で、日本から海外の映画祭に出やすいのはそういうせめぎ合いの外にある、極端に低予算な作品が多かったりする」
――わかります。
深田「例えば、是枝(裕和)さんとかは天才的にそこのバランスを取るのが上手い方だと思うんですけど、多くの監督はキャリアを重ねるにつれて商業性と作家性の間で中途半端なことになっていきがちで」
「人間とは中途半端なものだし、関係性によって善悪が変わってくるというスタンスで映画を作っている」(深田)
――『恋愛裁判』もそのバランスが見事にとれてる作品だと思うんですよね。もう一つ、深田監督は人の善性みたいなものを信じられている方なんだなというのを、これまでの作品からも感じてきたし、特に今回の『恋愛裁判』では強く感じたんです。アイドルを題材にすると、いわゆる芸能界の強さとか、メンバー同士の足の引っ張り合いとか、そういうことを描きがちですけど、『恋愛裁判』では事務所側の人間も完全な悪役としては描いていないし、なによりもハッピー☆ファンファーレのメンバー全員が基本いい子で。
深田「そうですね」
――これはストーリーテリングの手法としても非常に新しいなと思って。
深田「人間に対しての向き合い方は、今回の『恋愛裁判』もこれまでの作品とそんなに変わってないと思っていて。 基本的に、自分はわかりやすい善人もわかりやすい悪人も描かない、人間とは中途半端なものだし、関係性によって善悪が変わってくるというスタンスで映画を作っているので。特に今回の作品では、アイドル同士の足の引っ張り合いみたいなものは、さすがにちょっと卑小すぎてやりたくないっていうのは強くありました。 まず、こういうドラマで描きがちになってしまう“女の敵は女”っていう、そういう構造に近づきたくなかった。それは唐田(えりか)さん演じるマネージャーとの関係においてもそうで、口論のようなものがあったとしても、それぞれの役割や立場から話しているだけで、決してどっちかが“悪”ではないという。社長を女性にするという案もありました。現実ではそういうことだってあるかもしれませんが、今回の映画でそこをやってしまうと、現実には芸能界に限らず依然として強い男性社会である現状を隠す表象になってしまうと思っていたのと、やっぱり“女の敵は女”っていう構造を一番喜ぶのは実は男であるっていうところがあると思っていて。今回、男性の自分が監督をして、脚本も共同で担当しているわけで、物語の作り手の主体である男性が“女の敵は女”っていう構造を作るのは、女性監督がそれをやるのとはまた意味合いが違ってくると思っているので、避けたかったというのはあります」
――なるほど。
深田「あと、事務所をどこまで暴力的な存在で描くかについては脚本の段階ですごく議論をしました。もうちょっと暴力的な存在にするという選択肢はあって、実際にアイドル業界を取材していくなかで、もっとひどいケースというのもあったんですけど。今回アイドル業界を題材にして一番描くべきことは何かと考えた時に、アイドル本人が恋愛をできるかできないかという、つまり人間の主体性を奪っているんじゃないかという問いかけだったんですね。仮に、ひどいパワハラとかセクハラとかがこの業界にはあるよね、ということを描いても――正直、映画業界だってどこの業界にだってあることですし、そうすると『じゃあうちは恋愛禁止はしてるけど、セクハラ、パワハラはしてないからOK だよね』っていうような逃げ道を作ることにもなるんじゃないかって。自分がすごく意識していたのは、『ソウル市民』という演劇で」
――平田オリザさんの作品ですね。
深田「はい。劇団青年団という、まあ自分がお世話になっているところなんですけど、平田オリザさんの代表作で。 『ソウル市民』は、日本統治下のソウルを舞台にして、文房具屋を営む日本人一家の話で。そこでの韓国人に対する抑圧や差別が描かれているんですけど、その作品の非常にクレバーなところは、結局、ある種植民地支配の抑圧を描くという時に、すごく悪辣なことをした日本人であったりとか、暴力的な日本人っていうのも当時いたはずなわけですが、そういった人物設定にしないで、当時考えられる限り最もリベラルな日本人一家っていう設定にしていて。すごく韓国人にも理解があるし、召使として雇っていても一緒にご飯を食べたり、友達みたいに接してるし。 だけど、そこにだって確実に差別があるっていう。植民地支配っていう、構造的な差別があるわけですよね。その方が、やっぱり当時の問題の根深さみたいなものがクリアになってくるんですよね。悪辣な、暴力的な、当時の日本人の入植者を描けば、じゃあ暴力がなかったらいいじゃないかっていう議論を許してしまう。 そうではなくて、今回の事務所も、ある種平凡な、わかりやすく怒鳴ったり殴ったりもしてないし、性加害とかもしてるわけでもない。 むしろアイドルのことを考えて応援しているように見える事務所であっても、実はそこには構造的な搾取もあるし、抑圧やコントロールがあるっていう、そういった業界の問題として描くために、あえてわかりやすい、悪や暴力っていうのは、避けるようにしました」
――つまり、今回のテーマをちゃんと伝える上での設定であり、これまでもそうであり、深田監督自身の性善説、性悪説みたいな考えとはまた別の話ってことですね。
深田「そこら辺は、まあ絡み合ってると思いますけどね。 自分は性善説、性悪説って、結局教育論だと思っていて。 性善説の場合、人間の本性は善だから、それが悪に転ばないように教育しなくちゃいけないって話で、性悪説の場合は人間の本性はもともと悪なんだから、善のほうに教育しなくちゃいけないって話で、結局教育をどうするかっていうことなんじゃないかって。結局、善か悪かは、その関係性の中で変わってくるだけのことなので。パワハラしてる人が全員にパワハラしてるかっていったらそんなことなくて、家族や奥さんにはすごく優しくても、部下にはパワハラしてる人なんていくらでもあるし、その逆もそう。その人が生まれついて善か悪かって考えることってあんまり意味がないと自分は思っていて。 結局、関係性の中で不完全に揺らいでいくのが人間であると思っています。 あまり回答になってないかもしれませんが」
――いえいえ。 ただ、人間って40年、 50年と生きていけば、これまでの自分自身の人生経験みたいなものが反映されることもあるかなと思っていて。そういう意味では、他人をどれだけ信じられるかというか。たくさん裏切られたような人は性悪説に転びがちだし。まあ幸運にもそういうのとは無縁だと、性善説のままでいられるみたいなところもあるのかなとは思うんですけど。
深田「そういう意味では、自分自身でいうといろいろと人間関係で大変な目には遭っているので、全然、性悪説に転んでもいいとは思うんですけど(笑)。でも、性悪でも性善でもないっていうスタンスはあんまり変わらなくて。――なんか、こういう話をしたらドン引く人もいるかもしれないけれども、あのー、結局のところ人が善か悪かということに、自分自身は興味がなくて。そもそも生き物なんて意味がないと正直思ってしまっていて」
――(笑)。
深田「そもそも生きてることに意味がないということが、自分にとっては大きな問題なんですね。意味がないのはもう前提で、騙し騙し意味があるようなフリをしながら生きていくしない。乱暴な話ですが、自分は男性も女性も関係なく、人間はおしなべて等しく無意味だと思っていたりもして。なのに生きてる」
――そこまで(笑)。
深田「すみません。人間といったって、たまたまなんだか分からないままそう生まれついてしまっただけの生き物なんで、動物や虫に善か悪かって考えても意味がないように、人間が善か悪かっていうことを考えること自体に意味があると思えない。結局、まあ“無”ですよね。いまこうして生きていますけどそのことに意味があるのかさえ、自分はいまだに信じられてないので」
「生きてることなんて意味ないな、と思いながらも、とりあえずは労働環境を改善するのはいいことだよねっていう思いはある」(深田)
――一方で、深田監督って、映画界における性加害の問題であったり、DEIの問題であったりに関して、“連名する”というより、むしろ発起人の側にいることが多いじゃないですか。
深田「まあ、言い続けているうちに、そのポジションになんとなく収まっていることはありますね」
――それって、当たり前ですけど、現実の社会に何らかのエフェクトを与えることを目的にしているものだと思うんですけども。 その深田監督と、そういう死生観というか人生観が結び付きにくい人もいるかもしれません。
深田「まあ、そうかもしれないですね。 でも、残念ながら共存しちゃうんですね、不思議なことに(笑)。生きてることなんて意味ないな、と思いながらも、とりあえずは労働環境を改善するのはいいことだよねっていう思いはある。ただ、映画を作るときにそういう社会問題を描くかどうかって話には、正直あんまり関心がないっていうところがあって」
――そうなんですよね。
深田「社会問題を “描く”こと自体はそれはそれでいいことだと思うんです。それはもう、私たちが生きているこの世界から切っても切り離せないことなので。だから、それは背景として当然意識せざるを得ない。でも結局、自分にとってはどんな社会問題よりも、いまなんで私は意味がないと知りながらこうして生きているんだろうとか、いずれは死んでしまうこととか孤独の問題とかの方がよっぽど大問題だと思っているので、何を描くかとなったらそっちの方に自分は関心がある」
――深田監督は「プロパガンダ的な作品は作りたくない」ということをよくおっしゃっていて。あと、深田監督が、例えばソーシャルメディアとかで特定の誰かを名指しして攻撃しているのを見たことがない。これは当たり前のようでいて、近年映画界においてアクティビズム的な活動をされている方としては珍しいことだと思うんですよ。
深田「ああ、そうですね」
――こうして話していて思うのは、すごくいい意味で、エゴが希薄な方なんだろうなって。もちろん自分の映画が賞を獲ったりヒットをしたらうれしいんでしょうけど。
深田「もちろんヒットしてほしいですよ。でも、まあ、おっしゃるような危うさはあると思います。もちろんヒットはしてほしいし、賞を獲ったらうれしいけど、でも、それで別に生きている意味がそこに生まれるわけでもないし、っていうような虚しさは常に感じてますね。まあ、結論としては、“生きてる意味がわからない”っていう。こんなので大丈夫ですか?(笑)」
――いや、でも、こうしてお話しをしてみて自分はいろいろわかりました。これまでの深田監督の作品もそうだし、作品外の活動とかもそうだし、なるほどと腑に落ちることがすごく多かったです。
深田 「だったらよかったです(笑)。ありがとうございました」
取材・文/宇野維正

