リチャード・リンクレイター監督にインタビュー。映画史における“不滅の潮流”『ヌーヴェルヴァーグ』を撮る意義
「自分が作りたい方法で、誠実になにかを作り上げよう、という気持ちにさせる」(ドゥイッチ)
ゴダールを演じたギヨーム・マルベックは、演出を勉強した写真家で、演技自体が初体験だった。そのため徹底的に準備し撮影に臨んだ。「ゴダールのインタビューを録音し、一行ずつ再生し、自分でしゃべったものを録音し直しました。彼の口調と同じところと違うところをメモし、また繰り返す。そうやって少しずつゴダールの文法、言葉の使い方、トーンを理解していきました。ここで得られたものは、言葉以上のものです。私たちは言葉で自分を表現しますが、話しているのは精神です。言葉を十分に研究すれば、精神を理解できると信じていました」
ジャン=ポール・ベルモンド役のオーブリー・デュランは、佇まいがベルモンドに似ていると、キャスティング・ディレクターに見初められた。彼も、映画制作を勉強する監督志望だった。「映画学校で映画を勉強していました。ゴダールはもちろん必見作品リストに入っていました」と回想する。2人は『勝手にしやがれ』を繰り返し観て、細部まで研究した。「『勝手にしやがれ』をすでに観たことがある人が私たちの映画を観ても違いがわからないように、走る動作や動きを、映画のシーンを何度も観て研究しました」とデュランは語る。
ジーン・セバーグ役を演じたゾーイ・ドゥイッチは、『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』(16)ですでにリンクレイター作品に出演している。若き俳優としてたくさんの映画に出演する彼女は、この映画の“親しみやすさ”がいい影響を与えると信じている。「ヌーヴェルヴァーグに詳しくない、あるいは興味を持っていなかった方々にも、間違いなくインスピレーションを与えると思います。リック(リンクレイター監督)のアプローチは、『ヌーヴェルヴァーグを知らないなんて』という上からの目線ではなく、『さあ、一緒に楽しみましょう。すばらしき新しい映画の作り方を見てください!』という姿勢です。そして、この映画は、映画を作るためのすべての条件が整うのを待たずに、ただ立ち上がって『私は映画を作る。自分のやり方で』といった人物の物語でもあります。若きアーティストにとって、この態度がどれほど刺激的に映ることでしょう。自分が作りたい方法で、誠実になにかを作り上げよう、という気持ちにさせるのです。それはゴダールのやり方を真似るべきだという意味ではありません。自分が望む方法でやるべきです。映画である必要もありません。絵画でも、歌でも、料理でも、なんでもいいのです。これは、私にとって非常に心に響く核心的なメッセージであり、いまの時代に広める価値のあるメッセージだと思いました」(ドゥイッチ)。
「『映画は自分たちのものになり得る』という可能性を信じさせる力となる」(マルベック)
“ゴダール”と“ベルモンド”もまた、本作が若い観客に与える影響についての期待を語った。デュランは、「いまも昔も、若者は困難な状況を抱えているものです。それらを糧に、人生で偉大なことを成し遂げる必要があるのです。『ヌーヴェルヴァーグ』は、まさにそのことを描いているのだと思います。自由に映画を撮り、自分自身を映しだすこと。それはまさにあなた自身の物語です。街中でカメラを手に持ち、あなたの物語を語る映画です。多くの人が、『ヌーヴェルヴァーグ』を観たあと、『勝手にしやがれ』を観たくなると思います」と述べる。マルベックは、「いまはみんな、iPhoneを持っているでしょう。ポケットの中にカメラを入れて歩いていますね。それを使って短編映画を作ったり、アイデアのスケッチなどをどこでもできる環境が整っています。こうした状況が、若い世代に『映画は自分たちのものになり得る』という可能性を信じさせる力となると感じています」と期待を寄せる。
リンクレイター監督は、「私が思うに、これは重要な歴史映画などではありません。1959年に撮影され、2025年に再発見された映画を作っているだけです。どこかのアーカイブで紛失していたフッテージが発見されたみたいなものです」と述べ、現代の映画制作にも脈々と流れるヌーヴェルヴァーグの潮流についてまとめた。「映画の歴史が130年だとすれば、ヌーヴェルヴァーグはその半分の65年前に位置します。しかし私にとって、この運動は非常に影響力のあるものです。なぜなら、いわゆるインディペンデント映画の原型とも言えるものであり、映画に個人的な表現の時代をもたらし、ルールを破り、新しい観客に向けた新しい種類の映画を作りだしたからです。多様なヌーヴェルヴァーグ作品がありますが、一つの共通点は、映画に対する徹底的に個人的なアプローチです。いまも昔も、観客はそこに反応するのだと思います。この発見は、世界中の映画クリエイターたちに影響を与え続けています。ですから、これは一種の“不滅の潮流”と言えるのではないでしょうか」
文/平井伊都子
