『エディントンへようこそ』アリ・アスター監督×ホラー作家・背筋が対談!SNS考察文化への考えや“一筋縄ではいかない物語”創造の舞台裏を語る

『エディントンへようこそ』アリ・アスター監督×ホラー作家・背筋が対談!SNS考察文化への考えや“一筋縄ではいかない物語”創造の舞台裏を語る

「登場人物がワン・オブ・ゼムとして描かれている点が、これまでの作品とは毛色が違うと感じました」(背筋)

背筋「ありがとうございます。この作品に限らず、ほかの作品でもキャラクターの内面は複雑ですね。我々観客に共感できるところがあったとしても、それは一部分で、それを含む複雑さをそのまま表現するところに、私は魅力を強く感じています。ただ、『ヘレディタリー/継承』『ミッドサマー』『ボーはおそれている』は個の内省的な話という印象がありました。その点、『エディントンへようこそ』は引いた視点で、主人公にしても社会の一部、SNSのなかのワン・オブ・ゼムとして描かれている。その点がこれまでの作品とは毛色が違うと個人的に感じました」

ジョーの妻ルイーズは過去にトラウマを抱えており、ネットでカルト集団の動画を観ることを心の支えにしている
ジョーの妻ルイーズは過去にトラウマを抱えており、ネットでカルト集団の動画を観ることを心の支えにしている[c]2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.

アスター「そうです。つまり、すべてのキャラクターに内面的な生き様があると感じてほしいんです。しかし、それはなかなか難しいかもしれない。例えばエマ・ストーン演じるルイーズ。彼女は非常に痛ましいトラウマを抱えており、母親にも夫にも理解されていないと感じていて、実際どちらからも理解されていません。しかし観客はホアキン・フェニックス演じる夫・ジョーの視点に寄り添い、彼が見ているものを見ることになるのではないでしょうか。だから観客はジョーが許す範囲でしか、彼女という人間の本質に近づけない。そういう意味では、私のほかの作品と同様の方法で、観客は主人公であるジョーに近づいていると感じるでしょう。

しかし違いは、ジョーが観客によっては、ある種の不安定な感情を抱かせるキャラクターであることです。物語が進んでいくに従って、その感覚はさらに変化していくでしょう。そういう意味では、この映画は観客を裏切るように仕組まれています。とはいえ、先ほどあなたが指摘されたように、本作には風刺があります。これまでの私の作品のなかでも、もっとも風刺が強い。登場人物の大半は批判されるべき人間ですから。そしてご指摘のとおり、私が本作で重視したのは、可能な限り距離を置いて世界を広くとらえ、物語を損なうことなく、雑音の中にできる限り多くの声を織り込むことだったのです」

物語は誰も予想だにしない展開へ…
物語は誰も予想だにしない展開へ…[c]2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.


背筋「ありがとうございます。それでは、質問の毛色が変わりますが、日本ではストーリーテリングや描写に関して“恐怖と笑いは紙一重”と言われることがあります。その根底には観客の感情を揺さぶるための意外性や、突拍子のなさが、恐怖でも笑いでも共通しているということがあると思います。監督の作品を拝見していても、その場で観た時はすごく怖いと感じても、見方によっては笑える場面が多いですよね。なんというか、一律に感情を規定できないような、そういう感覚に襲われることが多いと感じています。今回の映画でもそういう要素はありましたが、恐怖と笑いについてどう考えているかお聞かせください」

アスター「コメディとホラーをつなぐものは、“驚き”ではないでしょぅか。驚いた時、人はしばしば笑ってしまうことがありますよね?映画の観客は、あることを期待しているのに、横からなにかが飛び込んできて驚かされる。そこに錬金術的ななにかがあると思います。期待と転覆、ですね。期待を裏切るということは、そもそも効果的な物語作りに、本質的に備わっている要素だと思います。有名な本や戯曲、映画を観ればわかるように、それらは程度の差こそあれ劇的なアイロニーに依存しているのです。シェイクスピアは偉大なアイロニストでした。期待を覆しつつ、驚きと必然性を同時に実現させたのですから」

背筋「いろいろお話できて、作品の裏側の想いも知ることがでました。この映画も2度、3度と観返してみようと思います。ありがとうございました」

アスター「こちらこそ。お会いできてよかったです!」

構成・文/相馬学

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