緒形拳主演の幻の映画『MISHIMA』が40年の時を経て日本初上映!『タクシードライバー』との共通点を監督が明かす

緒形拳主演の幻の映画『MISHIMA』が40年の時を経て日本初上映!『タクシードライバー』との共通点を監督が明かす

現在開催中の第38回東京国際映画祭、日本映画クラシックスの「生誕100年 三島由紀夫特集」にて『MISHIMA』(85)のジャパンプレミアが10月30日にヒューリックホールで開催。ポール・シュレイダー監督、製作の山本又一朗、アソシエイトプロデューサーのアラン・プールが登壇し、知られざる撮影秘話を語り合った。

【写真を見る】万感の想いを語ったポール・シュレイダー監督
【写真を見る】万感の想いを語ったポール・シュレイダー監督

緒形拳主演、坂東八十助、沢田研二共演で、『タクシードライバー』(76)の脚本家としても知られるシュレイダー監督がメガホンをとった本作。作家の三島由紀夫が割腹自殺を遂げた最期の日を舞台に、三島の過去をたどる回想と、小説作品を映像化した劇中劇を織り交ぜて描く渾身の1作となった。

製作の山本又一朗
製作の山本又一朗

最初に山本が40年の時を経て上映される経緯について「1985年にこの映画が作られ、第1回の東京国際映画祭で上映予定でした。でも、今年38回目を迎える東京国際映画祭ですが、それこそ40年もの間、観られることがなかったです。その間、どうしても観たい方は、アメリカからビデオを取り寄せたりされていて。幸い日本語言語の作品なので十分楽しんでいただけたかと。でも、今日はすさまじい早さでチケットが売れまして。ここにいらっしゃる人はラッキーな方々です!」と解説。

アソシエイトプロデューサーのアラン・プール
アソシエイトプロデューサーのアラン・プール

会場には本作に出演した萬田久子や永島敏行らキャスト陣も観客として来場していた。山本は「幾多の荒波のなかを航行してようやく上映されました。本当に大変立派な仲間たちが揃ってくれたのですが、もう亡くなった方も多く。また、今日たまたま撮影で来れなかった佐藤浩市くんや、都合で来れなかったジュリーも残念でした」とコメント。

ジャパンプレミアの開催を心から喜んだ3人
ジャパンプレミアの開催を心から喜んだ3人

山本は続けて「本作は、アメリカの監督が、日本人キャストのみで作ったおそらく最初の映画だと思います。それが長い間皆さんに発表することもできず。私としてはジョージ・ルーカスやフランシス・フォード・コッポラとか、大変な方々と一緒にする仕事でしたから興奮もしていました。また、アラン・プールさんは『TOKYO VICE』のプロデューサーでもあり、この映画を機に幾多の作品を作ってます!」とプールについても紹介した。

プールは「映画が40周年のところでようやく日本で上映ができまして、本当に幸せに思っております」と流暢な日本語で挨拶。「私は1983年に初めてシュレイダー監督に声をかけられました。私は当時、ニューヨークのジャパン・ソサエティーで、日本の監督や俳優さんの特集を企画していましたが、映画制作経験は、まったくありませんでした。それでもポールから『仕事を辞めて、僕と一緒に日本の映画を作ろう』と言われ、迷わず『イエス!』と答えました。だから40年間、映画やテレビの監督、プロデュースとしてキャリアを積めたのはすべてポールのおかげ。ここで正式にお礼を申し上げたい」と監督に感謝した。

3人が当時の知られざる撮影エピソードを披露
3人が当時の知られざる撮影エピソードを披露

シュレイダー監督は「今回、日本に戻ってこられて非常に嬉しく思います。というのも撮影中に私の娘が東京で生まれたので。1984年の元旦でした」と挨拶。続けて「よく、なぜ『MISHIMA』を監督するのか?と尋ねられましたが、三島のことは兄のレナードからよく聞いていたんです。彼は同志社大学で教授をやっていて、三島の事件が起きた時、日本にいたので。私が三島に惹かれた理由は、彼は非常にいろんな経験をしてる方で、華やかな部分もありますが、一番惹かれたのは、彼の哲学的な部分。心理的なものです」と語った。

三島由紀夫について熱く語った3人
三島由紀夫について熱く語った3人

さらに監督は「それはキリスト教に通ずるところがある」と言い「苦しみのあとで光栄をつかむというものです。それを私は『タクシードライバー』で追求してみたんです。主人公であるトラヴィス・ビックルのことを、無知で無教養の人だと捉える人もいましたが、私はそうではないと思った。ああいう心理的状態になるのは、非常に教養がある人です。それで『それは例えば誰だろう?』と聞かれた時、私は即座に『三島だ』と言っていました」と驚きのエピソードを披露。

「トラヴィスと同じような考え方の人物が、こんなに遠く離れた世界の裏側にいる、東洋にいると私は感じました。それで私がすごく興奮し、この題材を撮ってみたいと思ったわけです。それで撮って、いつか日本で上映できる日が来ると信じておりましたが、生きている間に実現できるかどうかがちょっと問題でした。でも、山本さんが、この船をずっと航海し続けていってくださったおかげで実現できました!」と山本に感謝した。

その後、当時の印象深い撮影エピソードを各自が披露。山本は「本作のプロデュースがスタートできるかできないかというギリギリのところで、シュレイダー監督の奥さまが妊娠されていたので、『これ以上待つと、飛行機に乗れなくなる。どうするんだ?』となりまして。そしたらコッポラが『結論は後でもいいから行け!』と言ってくれました。本当にひやひやしました」と当時を振り返った。

続いて、プールは「思い出深いのは、金額寺のセットを燃やした時です。セットに本当に火をつけたし、ワンテイクで撮らないといけなかった。坂東八十助さんが立っていたから、安全面も考えないといけなくて。火が大きくなった時、どこまでが安全なのかと思い、非常に緊張してた記憶があります」とコメント。

また監督は、三島の家の撮影時のエピソードを披露。「外観を撮ろうとしていたら、ゴミとかがいろいろと散らかっていて。スタッフが片づけだしたのですが、よく見たら、緒形拳さんまでゴミを拾ってくれていたんです。その時に私は、ああ、これは日本の映画だなと思いました」と、今は亡き緒形の人となりを称えていた。


取材・文/山崎伸子

「第38回東京国際映画祭」特集

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