大ヒット中『#真相をお話しします』でメイン層の観客をつかんだ豊島圭介監督。その知られざるキャリアと覚悟【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

インタビュー

大ヒット中『#真相をお話しします』でメイン層の観客をつかんだ豊島圭介監督。その知られざるキャリアと覚悟【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

「『あ、監督って学べる職種なんだ』っていう発見はありましたね」(豊島)

――そう並べていくと、錚々たるメンツですね。

豊島「佐藤信介さんがグランプリを獲った時、僕と『君の届け』とかの熊澤(尚人)さんが入選に終わって。賞を獲った人たちはそのまま有楽町の帝国ホテルで、市川準さんとかとお酒を飲めるんだけど、熊澤さんと僕はそこに呼ばれなくて、赤ちょうちんでクダを巻くみたいな、そういう感じでした。僕はそこからAFI(アメリカン・フィルム・インスティチュート)に留学したんですけど、佐藤信介さんはすぐ活躍するようになっていたし、熊沢さんも商業映画を撮っていたから、アメリカから戻ってきたら自分もなにか撮れるだろうって普通に思っちゃったんですよね」

――AFIといえば名門中の名門で、入れること自体がすごいわけですけど、そのままアメリカで映画の仕事をするという選択肢はなかったんですか?

豊島「当時は、自分がこんなプログラムピクチャー的な監督になるとは思ってなくて、もう少し作家性の強い映画を作っていくつもりだったので(笑)。そうすると、セリフのニュアンスとかト書きとか演出が、自分の語学力じゃ太刀打ちできないな、っていうのは最初から思ってましたね。あと、日本語でセリフを書くことが自分の中で大事なことだったので。ハナから、学べるものだけ学ばせてもらって日本に帰ろうと思っていました」

アメリカ映画界で最も権威ある賞の一つ、AFI生涯功労賞も主催している(写真は第25回受賞者のマーティン・スコセッシ)
アメリカ映画界で最も権威ある賞の一つ、AFI生涯功労賞も主催している(写真は第25回受賞者のマーティン・スコセッシ)[c]Everett Collection / AFLO

――当然、学んだものは大きかったんですよね?

豊島「でも、同世代だから宇野さんもわかると思いますけど、やっぱりあの当時はニューヨーク・インディーズのほうに憧れがあって。(ジム・) ジャームッシュとか(ジョン・)カサヴェテスの映画を観て、こんな映画の作り方もあるんだって驚いて、それで自分もやってみたいなって思って」

――AFIはロサンゼルスなので、思いっきりハリウッドですよね。

豊島「そう。最初の頃の授業で『じゃあ、みんなでスクリーンで映画観ましょう』って観せられた映画が、ケビン・コスナーの『ティン・カップ』っていうゴルフの話で。『わ、これを作る学校に来ちゃったんだ』と思ったぐらい(笑)。ハリウッドでそのまま働ける人材を輩出しようみたいな、ゴリゴリの“ハリウッド”だったんですよ。だから、最初はちょっと途方に暮れたんだけど、まあそこで2年間頑張って、基本的には短編を作り続けるみたいなことをやってみて。当時は『こんなもんか』と思ってたんですけど、実はAFIで学んだことがすごく役に立つことに気づいたのは、日本に帰ってきてからで」

――へえ。

豊島「それこそ清水崇に会って、ホラーをやらないかって話になって。その頃、『実話怪談本の先駆けである『新耳袋』を最初に紹介されて『こんなにおもしろいものがあるんだ』と思ったんですけど。いざ自分がホラーを撮る時になって、ホラーって基本は”どんな情報を、どんな順番で届けるか”っていうことに尽きるじゃないですか。誰かがお化けを見て驚いた、あるいは誰かが驚いたらそれはお化けだった、そういう情報をどう見せるかの順番の選択。 そういうことを実際にやるようになって、AFIで習ったストーリーテリングって、こういうことを学ばせたかったのねとようやく気づいた」

AFIで学んだことは、帰国してから実践で役に立っていると明かした豊島圭介監督
AFIで学んだことは、帰国してから実践で役に立っていると明かした豊島圭介監督撮影/湯浅 亨

――うんうん。

豊島「技術的な面だけでなく、例えば、監督の仕事って個々のパーソナリティによるものが多いから、学べるようなものじゃないと思ってたんですけど、『いや、監督の仕事も全部は学べないけど一部は学べるよ』っていう話を先生がしていて。そのうちの一つは、『カットをかけたらすぐなにか言え』っていう話で。つまり、『カット!』って言って、OKだったらもちろんそのまま進むわけですけど、OKじゃない時は俳優やスタッフを困らせないように『もう一回。なぜなら…』とすぐに理由を言えと。それでみんなが安心して現場が回るんだ、と教えもらったんです。自分でも理由が説明できない時は『カット! もう一回。理由はどうしても分かんないんですけど』でも構わないと。とにかく、あなたがカットをかけてすぐ、スタッフ、俳優になにか言うことは一つの技術として重要だ、みたいなことを教わったりとか。実際、そういうことって、むちゃくちゃ役に立ってるんですよ」

――それ、あんまり日本の監督でやってる人はいないかもしれないですね。

豊島「そう。だから、『あ、監督って学べる職種なんだ』っていう発見はありましたね」

「『#真相をお話しします』の仕組み、短編集を映画化する上でわりと発明だなと思ったんですよ」(宇野)

――と、話は尽きないわけですが、そろそろ『#真相をお話しします』の話もしないとですね。作品、めちゃくちゃ楽しませてもらったんですけど、今回が東宝で撮るのは初めてですよね?

暴露チャンネルで、桐山に事件の”真相”を語ることを提案したのは鈴木(大森)だった
暴露チャンネルで、桐山に事件の”真相”を語ることを提案したのは鈴木(大森)だった[c]2025 映画「#真相をお話しします」製作委員会

豊島「初めてです。これまで東映の作品が多かったんですけど、今回は配給が東宝で、作ったのはTBS映画部(とTBSスパークル)」

――そっか、TBSの映画部ですね。

豊島「なんの縁かっていうと、三島(『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』)の縁なんですよ」

――ああ、そういえばあれ、TBSの秘蔵映像を元にした作品でしたよね。

豊島「そう。あの作品では、僕はもともとドキュメンタリー畑じゃないのに声をかけてもらって、今回はその縁で、いわゆるプログラムピクチャーを撮る能力みたいな、自分の得意分野で再び呼んでくれたのがこの作品なんですよ」

―― そもそも『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』の時はどうして声がかかったんですか?

豊島「あれは、東大で同級生だった刀根(鉄太)さんっていうプロデューサーがTBS映画部にいて。彼があの作品をやることになった時、敢えて三島の死をリアルタイムで体験してない世代同士でやろう、っていう想いがあったみたいで」

――おお、学歴が役に立ったじゃないですか(笑)。

豊島「そう、50代になる直前にして、初めて役に立ったんですよ(笑)。その時に平野(隆)さんというプロデューサーとも知り合って、今回の『#真相をお話しします』に呼んでくれて。これまで自分がやってきた作品と、単純に予算が全然違うことに驚きました。これまでも民放で深夜ドラマとかやってきて、たまにスペシャルドラマとかを撮る機会もいただいていたんですけど、それとも全然違うのがまずはうれしくて」

――深夜ドラマのスペシャル版だと、まあまあ予算が大きめなインディーズ映画くらいな感じですよね?

豊島「そう。それでも、スタッフがみんな頑張るから一応できるんですけど、テレビだとそれが限界で。ずっとそういう世界でやってきたから、僕、最初にこの映画の台本を読んだ時に、『深夜ドラマでもいけるな』と思ったんですよ。実際には、スペシャルドラマの3倍以上ぐらいの予算があって、そうすると、単純に撮影時間がたくさん取れたり。すごい小さい話ですけど、リモコンのような小道具が必要な時、これまでやってきた作品だと、写真を見て『これ』って決めたらそれになっちゃうんだけど、候補のリモコンが全部そこに準備されていたりとか。ああ、こんな贅沢していいんだ、みたいなことから始まって。そういう”ものを考える時間”とか”ものを選ぶ選択肢が増える”っていうような潤沢さがありました。 それが一番大きかった」

娘のために”ある行動”を起こす父親役をパワフルに演じた伊藤英明ら、”暴露話”のキャスト陣も豪華!
娘のために”ある行動”を起こす父親役をパワフルに演じた伊藤英明ら、”暴露話”のキャスト陣も豪華![c]2025 映画「#真相をお話しします」製作委員会

――原作は短編集で、映画では大森元貴さんや菊池風磨さんが出てくる話がメインストーリーとなってますけど、 原作ではあそこも短編の1つですよね?

豊島「ええ、子ども時代は短編のままですね。 僕が作品に合流した時には、既に台本が第六稿ぐらいまでできていたんですよ。ちょうど大森君のキャスティングが決まった時に呼ばれたという感じで。その段階で確実に企画がGOできるからっていう」

――豊島君が監督をする作品は、これまでもそういうパターンが多かった?

豊島「そうですね。監督もキャスティングされるシステムの映画。で、 その台本を読んだ時に『あ、この手があったか、おもしろいな』と思って。今作の仕組みが、その時点でもう出来上がっていて。動画配信サイトにみんなが寄ってたかって話をしに来る、そして最後に大森君のターンがくる。あそこからは全部オリジナルなんですよ」

【写真を見る】「次のスピーカーは僕です」と不敵な笑みを浮かべる鈴木。堂々たる初主演を務めた大森元貴
【写真を見る】「次のスピーカーは僕です」と不敵な笑みを浮かべる鈴木。堂々たる初主演を務めた大森元貴[c]2025 映画「#真相をお話しします」製作委員会

―― そうですよね。 だから、あの仕組み、短編集を映画化する上でわりと発明だなと思ったんですよ。

豊島「そうですよね。そこから、あの最後のお客さんへの問いかけまでの流れが既にあって、『あ、これがあるならいけるじゃん!』っていう手応えがありました」

――うんうん。

豊島「プロジェクトに僕が入ってからやったことは、冒頭のシーン。あとは、岡山天音くんがいるバーチャル空間。あれが台本では画面の中だけだったんで、中に入っちゃったほうがおもしろいよねっていう2つは提案しました」

バーチャル生配信暴露チャンネル「#真相をお話しします」では、投げ銭で何百万もの大金が行き交う
バーチャル生配信暴露チャンネル「#真相をお話しします」では、投げ銭で何百万もの大金が行き交う[c]2025 映画「#真相をお話しします」製作委員会

――今回、大森さんはやっぱり大きな驚きで。こんなに役者としても様になるんだって。

豊島「大森君は”プロデューサー・プレーヤー”みたいな人で、めちゃくちゃいろんな施策をMrs. GREEN APPLEの活動でもこれから打ち出そうとしていて、本当にすごいんですよ。 あれもやろう、これもやろうって。常に10年先を見ながらやっているような天才系の人。一緒にやれておもしろかったですね」

――ミセスは、ちょっと異常な売れ方ですよね。

豊島「それで、大森君が『もう誰も俺たちのことを叱ってくれる人がいなくなった。我々はもっと恥をかかなければいけない』って言って、『僕はまず映画に出る』って」

――すごい動機(笑)。

豊島「涼ちゃん(藤澤涼架)や若井(滉斗)はバラエティーに出てもらって、そこでみんな恥をかいてパワーをつけて、そのパワーと経験をMrs. GREEN APPLEに戻すのである、みたいなことを言ってて」


――でも、この後に朝ドラも決まったし、役者を続けるってことは、今作でちゃんと手応えがあったっていうことですよね。

豊島「そうじゃないかな」

――だとしたら、豊島君の手柄じゃないですか。

豊島「僕の手柄じゃないけど(笑)、いい時に一緒にいれたなとは思ってますね。 でも、もともと彼らがやってきたライブって芝居がかったものが多いじゃないですか」

――シアトリカルですよね。

豊島「そうそう。だから巧いに違いないとは思ってたんですよ。あとは演劇的なお芝居なのか、映像的なお芝居なのかっていう、そのアジャストを一緒にしていけばいいんじゃないかなみたいに、リハーサルをする前は思ってたんですけど。いざリハーサルすると、飲み込みがむちゃくちゃ早くて、負けず嫌いだから。『あの大森さん、もっとこうしたいんです』って言うと、『こうしたいんです』って言い切る前に『わかりました!』みたいな(笑)。とにかく現場でアジャストする能力がめちゃくちゃ高かったですね」

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