リュ・スンワン監督が“司法不信”の感情と行き過ぎたSNSへの警鐘を込めた『ベテラン 凶悪犯罪捜査班』の社会派演出
韓国で1340万人もの観客動員を記録した『ベテラン』(15)のヒットの要因の一つは、当時問題になっていた財閥による不祥事を物語に取り入れ、主人公ソ・ドチョルが悪行三昧の御曹司をなぎ倒す痛快なストーリーが国民の欲求と見事に合致していた点にある。それから9年、リュ・スンワン監督は続編の『ベテラン 凶悪犯罪捜査班』にも韓国の社会や風習を巧みに演出に盛り込んでいる。その大きなテーマは“司法不信”だ。
司法に対して韓国人が不信を抱く背景には、建国以来、1990年代前半まで続いた独裁政権時代、司法が法より権力の顔色をうかがう判決を乱発したという歴史がある。その代表的なものは、朴正煕(パク・チョンヒ)軍事独裁政権下の1975年、国家情報機関であるKCIAによって捏造された「人民革命党再建事件」であろう。北朝鮮のスパイにでっち上げられた無実の学生8人が、死刑宣告からわずか18時間後に処刑されたこの出来事は、国際法律家委員会(ICJ)によって、刑が執行された4月9日を「司法暗黒の日」と定められるなど、世界の司法史に刻まれた韓国の黒歴史である。
こうした歴史を持つ国であるがゆえ、韓国国民は司法に対し常に疑いの目を向けてきた。残念なことだが、韓国において司法不信はもはや「常識」になってしまっていると言えるだろう。そしてこの状況は、独裁時代が終わり、民主化が進んでからもなかなか改善されることはなかった。政治・財力・社会的地位によって“権力”を手にした人間が犯した罪への処罰が甘すぎることから、「ソムバンマンイ(綿で作られた棒)処罰=権力者にとっては痛くもかゆくもない処罰」なる造語まで登場した。
悲惨な事件への怒りの感情から生まれた闇のヒーロー“ヘチ”
『ベテラン 凶悪犯罪捜査官』は、こうした司法不信の国で多くの国民が欲望せずにはいられない「闇のヒーロー」を物語の軸においている。「ソムバンマンイ処罰」を繰り返す司法の代わりに、誰か犯罪者を裁いてはくれないだろうか。せめて映画の中でだけでも、現実には許されない「私刑」でこのもやもやを吹き飛ばしたい…。リュ・スンワン監督は、前作『ベテラン』では、現実には一介の警察官が近づくことなど不可能な「財閥」という権力者の犯罪を司法の代わりに裁き、多くの観客をスカッとさせてくれたが、今回の続編ではさらに深刻な現代の社会問題を幅広く扱い、司法不信からわき上がる大衆の欲望に応えつつも、同時に司法のあり方をも問いかけている。
『ベテラン 凶悪犯罪捜査班』ではオープニングの「主婦賭博団検挙」に始まり、「大学教授の性暴力」「校内暴力」「保険金殺人」と様々な犯罪を取り上げているが、これらはいずれも、韓国で実際に起こった(時に複数の)事件が参照されているため、韓国人ならば何かしら頭に思い浮かぶ事件があるはずだ。1970年代にヒットした「誘惑のブギー」をBGMにコミカルに描かれる主婦賭博団検挙の模様は、実際、朴正煕政権時代から何度もニュースに登場している。
だがそこからは一転、腹立たしい事件のオンパレードとなる。中でも大学教授による女子大生への性暴力や、学校での集団的ないじめはとりわけ注目すべきであろう。いずれも繰り返し起こっているにもかかわらず、加害者には軽い処罰しか与えられず、逆に被害者が学校を辞めたり、みずから命を絶つという最悪の結末に終わることも少なくないからだ。2024年末には、性犯罪を繰り返した大学教授に対し学校側の処分があまりに軽かったため、学生たちが抗議デモを行った(そして教授は学生たちを名誉棄損で訴えた)というニュースもあった。またつい先日は、加害生徒を叱責した教師が、彼らの保護者から度を越したパワハラを受けて自殺した事件もあった。保護者らのなかには地域の有力者も含まれていたため、未成年である加害生徒らが処罰を免れたのはもちろん、保護者らの責任もいつしかうやむやになってしまった。いずれの事件も、韓国では自嘲的に「権力型犯罪」と呼ばれている。
こうした事件に対し、国民の誰もが怒りを覚え、司法に対する批判の声が殺到したのは言うまでもない。韓国には司法への不満から生まれた「法感情」という言葉があるが、まさに国民の法感情が作り出したのが、本作における闇のヒーロー“ヘチ”である。司法が手放した犯人たちを闇のヒーローが裁くという物語を、そもそも大衆の欲望を収斂する機能を持つ映画で描くことは、しごく正しいように思われる。だが本作が優れているのは、観客の法感情に訴えカタルシスを与えるだけにとどまらず、闇のヒーローを生み出す欲望が果たして正しいのか、その欲望を煽るものは何か、についても問いかけているところではないだろうか。