『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』にみる、ボブ・ディランが纏った3つのアメリカ・ファッション
シンガーソングライターのボブ・ディランの名を知らない人はそう多くないだろう。グラミー賞やアカデミー賞をはじめ、アメリカ大統領自由勲章の受章、ロック・ミュージシャンとして初となるピューリッツァー賞、歌手として初めてのノーベル文学賞も受賞している稀有なアーティストだ。いずれも、ミュージシャンとして主にアメリカ文化や世界に多大な影響を与えたこと、詩のすばらしさが卓越していることが評価されたものだ。1960年以上のキャリアの中で、世に出たディランの作品は数知れず、年代を問わずに歌のどれかは誰もが聞いたことがあるというだけで、すでに“伝説”級だろう。人々は、ディランを知っている。しかし、ディランが本当にどのような人物なのか、を知る人は少ないのではないだろうか。
現在公開中の映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』は、そんな生ける伝説ディランが、ギターと才能しか持ち合わせていなかった時代、やがてメジャーデビューを果たしてスターダムにのしあがっていく様、斬新な演奏が大きな物議を呼んだ「ニューポート・フォーク・フェスティバル」でのパフォーマンスなどを含んだ、1961~65年のディランを描いている。この時期を表するに、彼としてもアメリカとしても「激動」の一言がふさわしい。公民権運動、冷戦やキューバ危機、ケネディ大統領暗殺事件。1941年生まれの、20歳になったばかりの青年は、時代の渦に巻き込まれながら、揺れ動く。自分は何者なのか。ミュージシャンである若者は、ジャンルや世間からの人物像への決めつけに反発して大いに迷う様子が、音楽や恋愛の側面もさることながら、ことファッションからみてとれる。
無名のディラン、ウディ・ガスリーに会いにニューヨークへいく
本作の衣装デザインを担当したのは、本作で4つ目のアカデミー衣装デザイン賞にノミネートされたアリアンヌ・フィリップス。彼女のとあるインタビューによると、ディラン演じるティモシー・シャラメのコスチュームを3つの時代に分けて用意したという。まず、1961~62年の「NY到着」期。無名だったディランは、憧れの人物、ウディ・ガスリーに会うためにヒッチハイクでニューヨークにやってくる。ロカビリー全盛時代に幼少期を過ごしたディランは、いろいろな種類の楽器や音楽を演奏していたが、ガスリーのアルバムを聴いて衝撃を受け、フォークソングに傾倒したと言われている。
そんな憧れのガスリーを模した、この時期を代表するアイテムが、ペンドルトン製のシャツだ。ペンドルトン・ウーレン・ミルズ社は、アメリカ・オレゴン州で1863年に創業された、アメリカ初の毛織物工場を有するウールを作る会社。格子柄のワークシャツに太めのボトムといったホーボー(労働者を意味する)ファッションに身を包んだのは、フォークというより、敬愛したガスリーの影響だったというのは興味深い。そのようなルックに黒のハンチング帽あたりを合わせたディランは、ガスリーのアルバムジャケットからそのまま抜け出したようだから、いかにガスリーの存在が大きかったかがわかる。
自由を追求したディラン、シルヴィと暮らしながら自分らしさを表現する
2番目は、1963~64年の「フリーホイーリン」期。これは、「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」という63年に発表されたディランの2作目アルバムのタイトルにちなんでいる。このアルバムには、代表作「風に吹かれて」をはじめプロテストソングが収録されており、ディランをフォーク界のプリンスにならしめた出世作だ。評価されていたのは、もちろんおさめられたオリジナルの曲たちであるが、このアルバムのジャケットはあまりにも有名。この写真からもわかるように、ディランに影響を与えたのは、劇中ではシルヴィの名前で登場する、当時の交際相手スージー・ロトロだろう。
ニューヨーク出身の、おしゃれで自己のスタイルを確立して自信に満ちた女性。彼女と暮らしながら曲を作り続け、意欲的で野心的ですらあったディランの、この時期を代表するアイテムは、リーバイス501だ。ロットナンバー501が付けられて1873年に始まったこのデニムの神話については詳細を省くとしても、アメリカ・カリフォルニア州で1853年に創業されたリーバイ・ストラウス社が生み出した、現存するすべてのブルージーンズの原点である。ベーシックでストレートフィットが、その人らしさを表現できるとして、いまもなお愛され続けるアイテムだ。薄手のジャケットにストレートジーンズを合わせたこのファッションは、エモさを求めるZ世代によって近年、ティックトックで#ボブ・ディランコア(バービーコアなどのように、何かと究極を意味するハードコアを組み合わせたファッション造語)と紹介されてバズったらしい。(『ローリングストーンズ』誌が記事にしている)「フリーホイーリン」という言葉も、義務やルール、制限から自由であることを意味することから、ファッションにしても音楽にしても、もしかしたらこの時期が一番、ディランが思う自分らしさのある期だったのかもしれない。