マイキー・マディソンら『ANORA アノーラ』キャスト3人が明かすキャラクター作りと作品への深い愛情
「私たちは本当に家族のようでした」(ボリソフ)
ベイカー監督の作品では、アドリブや自然な会話も重視される。マディソンは「私たちは非常に協力的でした。ショーンの脚本は、常にお互いにアイデアを共有し、キャラクターについて話し合って作り上げられています」と明かす。「例えば、脚本には『アニーはイヴァンに、ダンサーとしての柔軟性を見せる』と書かれたシーンがあったんですが、それを見て私はストリップダンスがいいかもと思い、ダンスの先生と一緒に振り付けを考え、曲と衣装を選びました。そしてショーンに『このダンスをやったらどうでしょう?』と提案したら、彼は『いいね!』と採用してくれました。ショーンが私に映画制作のさまざまな側面に関わってほしいと思ってくれたことが嬉しかったです」と、ベイカー組の柔軟な制作体制に感謝の想いを口にする。
ボリソフは「撮影中、私たちは本当に家族のようでした。だからこの映画は、私たちの子どもみたいなものです。ショーンは魔法を生み出す繊細な指揮者のようでした」と語る。「私たちは撮影の日も休みの日も、撮影が終わったあとも、人生について、夢について、たくさんの話をして過ごしました。この仕事ならではの特別なことなのか、彼の撮影スタイルなのかわかりませんが、共に過ごした時間は私たちの魂と血の一部になっています。監督と俳優ではなく、人と人との関係が築けたと思います」と語り、愛おしそうに共演者たちを見つめた。
マディソンはボリソフとの共演について「ユーリーは素晴らしい俳優です。彼はスタニスラフスキーのメソッドに基づいた演劇を学んでいます。そのような方法で演技をする俳優と共演できたことはとても興味深かったです。彼は非常に献身的で、自分をキャラクターに落とし込むのがスムーズでした。だから私たちはお互いに映画に集中できたんだと思います」と振り返る。
「そして、彼はいつも私をサポートしてくれました。何か必要なものがあると持ってきてくれたり、足首を捻ったり付け爪を折ってしまった時も、手当をしてくれました。それはある意味、劇中でイゴールがアニーのために行動してくれることと重なっていたような気がします。彼の役柄としての行動だったのかもしれませんが、撮影当時は彼が素晴らしい人だからだと思っていました。知らず知らずのうちに、私たちの化学反応にとても役立っていたと思います」
『ANORA アノーラ』のおもしろいポイントは、ベイカー監督の大胆かつ繊細な編集で、作品を観直すたびに印象が変わるところだ。1度目の鑑賞ではストーリーを追い、2度目からは各キャラクターに注目して映画を観ると、違った物語が見えてくる。ボリソフが演じた屈強な用心棒の言動に着目して映画を観ると、彼の目が常にアニーを追っていることがわかるだろう。ボリソフは「アニーはこの映画の中心人物だから、ずっと彼女に注目していました」と説明する。
イヴァン役のエイデルシュタインは本作を2度鑑賞し、自分が演じた役柄について全く違う見方ができたという。「1度目に映画を観た時は、イヴァンの印象が大きく変わりました。ショーンと僕は、イヴァンが抱える痛みについてたくさん語り合いました。彼は本当にアニーを愛していたけれど、彼の人生は彼のものではなく、力のある家族に操られている。2度目に観た時は、とても素晴らしく繊細に描かれたキャラクターだと改めて気づくことができました」
「ラストシーンは様々な解釈をすることができる」(マディソン)
映画のラストシーンも、様々な捉え方をすることできる。マディソンは「ラストシーンでは、アニーがついに傷ついた自分自身を許し、内側に溜め込んでいた窮屈な想いを手放します。でも、彼女が何を感じているのか、なぜそうするのかは、様々な解釈をすることができる。映画をご覧になったみなさんからは、皮肉的な意見からロマンチックなものまで、様々な解釈を聞きました。キャラクターを演じた俳優として、さまざまな解釈を聞くことはとても興味深いことでした」
一瞬の出会いが人生を大きく変える可能性と、そこから生まれる複雑な感情の軌跡を追った『ANORA アノーラ』は、観る人によって様々な解釈を生みだし、普遍的な共感を呼び起こしている。第77回カンヌ国際映画祭では最高賞のパルムドールを受賞、アメリカの賞レースでも躍進中の笑いに満ち溢れた本作をぜひ劇場で堪能してほしい。
取材・文/平井伊都子