コーエン兄弟でキャストも豪華、でも中身はおバカなコメディ。押井守が共感した、観客を“裏切りたい”理由とは?【押井守連載「裏切り映画の愉しみ方」最終回『バーン・アフター・リーディング』前編】
「監督という商売は、我慢して続けていれば再起するチャンスがまたやってくる」
――ということは押井さん、「パトレイバー」の劇場版や『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(95)と続いての成功がキツかったわけですね。
「うん、とりわけ『攻殻』はヤバかった」
――もしかして「オレって巨匠?」って思っちゃったんですか⁉
「一瞬だけね。『このままだと巨匠の仲間入りしちゃうのかな』って」
――それって期待ですか?それともマジにヤバいほうですか?
「半々かな。自分は巨匠になるような人間じゃないってわかっていたからすぐ正気に戻ったけど(笑)」
――押井さん、その時に巨匠と呼ばれている監督の顔、浮かびました?たとえば宮崎(駿)さんとか?
「いや、宮さんはない。なぜなら師匠(鳥海永行)から『宮崎駿にはなるな』と言われていたから。最初に頭に浮かべたのはやっぱり(スタンリー・)キューブリックだよ。ある種の完璧主義者の監督と言われているけど、私は彼のそれはニセモノだと思っている。黒澤明も同じ。完璧主義の監督なんていないというのが私の考えなの。映画づくりにおいて、監督がすべてのディテールにかかわるなんてできるはずがないからですよ。もう一つ、完全主義者という言い方もあるけど、完全というのは理念にすぎないので到達はできない。でも、“完璧”はとりあえず偽装できるんです。キューブリックはそのせいで数年に1本しか撮らない監督になってしまった。だから結局、彼は巨匠を演じるハメになっちゃったんです」
――キューブリックを「神」呼ばわりする人もいますからね。
「でも、コーエン兄弟はそんなふうにはなりたくなった。『ノーカントリー』のような映画をいつも撮りたい監督じゃないということ。彼らは人間に興味がある。明らかに人間をおもしろがっている。そのおもしろがり方が悪意に転がると『ノーカントリー』になり、楽天的なほうに転がると『バーン・アフター・リーディング』になる。2つの根っ子は同じ。人間に興味があるんです。
うん、多分、そんなことを思って『バーン・アフター・リーディング』に決めたんだよ。なぜなら、私もいつもそういうことを考えながら(映画を)撮っているから。『『パト』と『攻殻』の監督じゃない!』ってさ」
――2本とも前世紀の作品ですからね。そのほかは結構、黒歴史が多いのでは?
「まあ、6割くらいはそうかな(笑)。そもそも、世にいう成功作にはみんな飛びつくけれど、『御先祖様万々歳!』(89~90)とか『女立喰師』や『アサルトガールズ』(09)は『ふざけるなっ!』になる。『アサルトガールズ』のカタツムリのシーン、延々撮っていて、みんなにはカットしろとさんざん言われたんだけど、なぜかその時は絶対に切っちゃダメだと思ったんだよ。理由はわからないけど。『だって、退屈なだけじゃないの』なんて言われると『退屈のどこが悪いんだ!』って(笑)」
――押井さん、それは単なる天邪鬼なのでは?
「まあ、それもあるかもしれないけどさ。だから、私が言いたいのは、ある種の監督は成功に囚われたくないということ。成功するために映画を撮っているんじゃなくて、撮りたい映画があるから撮っている。たまたまそれが成功する時もあるし、たまたまコテンパにされる時もある。そういうなかで監督はそれぞれバランスを取っている。
監督という商売は、我慢して続けていれば再起するチャンスがまたやってくるんです、不思議なことに。1本でもいい映画を撮っていれば『あんた、真面目にやればちゃんと撮れるでしょ?』という信頼がついてまわる。私がまさにそれ。でたらめの映画を撮っていても、そういう実績があるからチャンスが巡って来る」
――押井さん、リドリー・スコットについて、エポックメイキングという呼べる映画を2本も撮っているから、たとえ失敗作が多数あっても監督を続けられるみたいなことおっしゃってましたよね。
「サー(リドリー・スコット)は『エイリアン』(79)と『ブレードランナー』(82)の2本で巨匠であることを証明した。あとは多少、難アリだったとしても次を期待できるんです。私はサーの難アリ映画も好き。『G.I.ジェーン』(97)も大好きだよ」
――スコットは、そういう難アリ映画の合間に『ブラックホーク・ダウン』(01)のような市街戦映画の傑作も撮ってますからね。
「つまるところ、映画監督とはそういう商売なんです。ほら、生涯2本しか撮っていないの映画史に名を遺す監督になった人がいたじゃないの?」
――先日、亡くなった長谷川和彦監督ですか?では、その話は後編でお願いします!
取材・文/渡辺麻紀

