カンヌのパルム・ドールは“アカデミー賞への近道”ではなくなる?映画祭戦略に起きた地殻変動から、ハリウッドの行く末を占う

カンヌのパルム・ドールは“アカデミー賞への近道”ではなくなる?映画祭戦略に起きた地殻変動から、ハリウッドの行く末を占う

改めて問われる、映画祭の意義

2020年代後半の映画産業は「多極化」の時代に入っている。SNSとスターパワーに頼り、映画祭をスキップするメジャースタジオ。賢い映画祭戦略でオスカーを射程に収めるNEONやA24などのブティックスタジオ。そしてその狭間で、世界中の映画作家を発掘し、育て、映画界を次の世代へと繋いでいこうとする気概が、カンヌをはじめとした映画祭にはある。スタジオにとって映画祭は、かつては「格を証明する儀式」だった。しかしいまやその役割を、コーチェラのシャベルが、TikTokのバズが、そしてYouTubeの同時配信が代替しはじめている。翻って、インディペンデント映画や国際映画にとって、映画祭はいまも「存在を証明する唯一の場所」に変わりはない。2029年以降、アカデミー賞がYouTubeで世界200か国に同時配信される時代が来れば、これまで地理的・言語的な壁に阻まれてきた観客がアカデミー賞に接続される。それは映画祭が発掘してきた映画、特に非英語圏の作品が、より広い文脈で評価される可能性を開く。

カンヌ国際映画祭の総代表を務めるティエリー・フレモー
カンヌ国際映画祭の総代表を務めるティエリー・フレモー[c]Everett Collection/AFLO

今年のカンヌ映画祭にアメリカ映画が少ない理由を問われた同じインタビューで、総代表のフレモーは悲観視するわけではなく、「私たちの使命は、非常にシンプルに言い表すことができます。それは『映画とはなにか』を定義することです。言い換えると、現在の私たちの取り組みにおいては、『2026年に映画がどのようなものになるか』を定義することです」と述べる。つまり、カンヌ映画祭はこの混沌とした世界において、映画が示すもの、映画が示せるものを明らかにし、2026年の映画界概況がどのように動いていくかを予見する。今年は、カンヌ映画祭と同時に行われる映画マーケットの“カントリー・オブ・オナー”を務める日本や、新しい才能が次々と育ち、カンヌから世界へと羽ばたくヨーロッパ映画界に注目しているということだろう。激動のアメリカ映画界についても、映画史のサイクルに、こうなぞらえている。「1960年代後半、スタジオ・システムが終焉を迎えようとしていた頃、アーサー・ペン、ウィリアム・フリードキン、フランシス・コッポラ、ジェリー・シャッツバーグといった監督たちが台頭し、その後にはマーティン・スコセッシやスティーヴン・スピルバーグが続きました。ワーナーが献身的に支援したクリント・イーストウッドも。まもなく新しい世代が登場すると私は確信しています。私たちは、彼らに花開く機会を与えなければなりません」。フレモーの言葉は、映画祭の存在意義を改めて問い直す。アカデミー賞も映画祭も、その根拠は同じところにある。新しい世代の作り手と観客を育てることなしに、映画の未来はないという信念だ。


文/平井伊都子

*1:https://variety.com/2026/film/global/cannes-chief-thierry-fremaux-2026-lineup-hollywood-films-1236697525/

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