カンヌのパルム・ドールは“アカデミー賞への近道”ではなくなる?映画祭戦略に起きた地殻変動から、ハリウッドの行く末を占う

カンヌのパルム・ドールは“アカデミー賞への近道”ではなくなる?映画祭戦略に起きた地殻変動から、ハリウッドの行く末を占う

NEONが証明し続けている「カンヌ×オスカー」戦略の有効性

では、映画祭はオスカーキャンペーンにとって不要になったのか。そうとも言い切れない。2025年の第97回アカデミー賞で最多5部門を独占した『ANORA アノーラ』(ショーン・ベイカー監督、24)は、カンヌでパルム・ドールを受賞している。北米配給会社のNEONは、『パラサイト 半地下の家族』に続きカンヌ&オスカーの二冠を達成し、ベイカーは次回作で自身最大の契約を結んだばかり。新作『Ti amo!』は、ワーナー・ブラザースが元NEONのスタッフを引き抜き新設したインディレーベル「Clockwork」が約2,200万ドルで買い付け、うち数百万ドルはベイカーへの報奨だという。ハリウッドにおいて、映画祭での成功がオスカーにつながり、そのオスカーが次回作への破格の投資を引き寄せる「価値の連鎖」は、まだ機能している。

カンヌ国際映画祭からアカデミー賞の“黄金ルート”で成功した『ANORA アノーラ』
カンヌ国際映画祭からアカデミー賞の“黄金ルート”で成功した『ANORA アノーラ』[c]Everett Collection/AFLO

今年のカンヌで言うと、NEONは先述の『Paper Tiger』、是枝裕和監督の『箱の中の羊』、濱口竜介監督の『急に具合が悪くなる』、ナ・ホンジン監督の『Hope(英題)』、アルチュール・アラリ監督の『The Unknown』、クリスティアン・ムンジウ監督の『Fjord』の6本のコンペティション部門出品作を北米配給する。過去6年連続でパルム・ドール受賞作を配給してきた同社の実績が、「カンヌ×オスカー」戦略の有効性を証明し続けている。今年も、NEONが7年連続のパルム・ドール作品配給会社となるかが注目の的だが、その動向に注目することで、プレスや映画ファンはすでにキャンペーンの一端を担い始めている。

濱口竜介監督の『急に具合が悪くなる』はNEONが北米配給権を獲得
濱口竜介監督の『急に具合が悪くなる』はNEONが北米配給権を獲得[c] 2026 Cinéfrance Studios – Arte France Cinéma – Office Shirous – Bitters End – Heimatfilm – Tarantula – Gapbusters – Same Player – Soudain JPN Partners

変化しつつある、映画のマーケティング戦略

ハリウッド激変の波は、アカデミー賞の形状にまで及ぶ。2025年12月、アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミー(AMPAS)は、2029年の第101回授賞式からオスカーをYouTubeで世界同時ライブ配信する独占契約を発表した。会場も、ハリウッドのドルビーシアターから、ダウンタウンのピーコックシアターへと移転する。50年以上続いたディズニー傘下のABCとの放送契約を終了し、主要アワードとして初めて地上波からデジタルへの全面移行を決断した。デジタル移行の背景には視聴者数の長期低迷がある。2025年の授賞式は、北米でABCとデジタル(Disney+、Hulu)合計で約1,970万人だったが、1990年代の4,000万人超には遠く及ばない。YouTubeは月間25億人以上のログインユーザーを抱え、もはや全世界を網羅する最大のテレビネットワークと化している。アマゾンによるMGM買収(2022年)、交渉は頓挫したものの、Netflixによるワーナー買収と並ぶこの動きは、エンタテインメント産業がIT企業の傘下に収まっていく大きな流れの一部だ。

こうした流れを加速させているのが、マーケティング戦略の変化だ。映画業界には「エンバーゴ(報道解禁)」という取り決めがあり、新作映画やドラマシリーズには厳重なエンバーゴが課されていることがある。SNS時代になり、そのエンバーゴの前に、試写やイベントに参加した事実をSNSで発信するのは歓迎という「ソーシャル解禁」が生じている。4月にラスベガスで開催されたシネマコンでは各スタジオが最新ラインナップを発表したが、プレスは「コンベンション内で開示される情報は即時解禁、他方でレビュー(批評)に関しては各スタジオが定めるエンバーゴに準ずる」という誓約書にサインしている。映画は、平均して製作費と同額かそれ以上のマーケティング費用をかけて劇場公開を盛り上げていく。実際にマーケティング戦略がローンチする前に、批評に潰される可能性を最小限にとどめるための策だ。

そのシネマコンで初披露された作品に、ワーナー・ブラザースが今年のオスカーを狙うと噂される『Digger』がある。アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の新作で、主演はトム・クルーズ。シネマコンと同時期にロサンゼルス近郊で行われていた音楽フェスのコーチェラには、50フィート(約15メートル)のシャベルが登場し、隣にクルーズが立っている写真がSNSに投稿された。「シネマコンでのフッテージ上映についてあれこれ言うより、巨大シャベルをシェアして欲しい」と言わんばかりに。

昨年のコーチェラでは、『罪人たち』がYouTube配信のスポンサーとなり知名度をあげた。行動力・購買力のあるZ世代に情報を周知させる抜群のマーケティングだ。こうした戦略を展開する一方、ワーナーは現時点では『Digger』の映画祭出品を考えていないという。過去7作中6作がカンヌかヴェネチアで初上映されてきた、イニャリトゥ監督としては意外な選択だ。これは昨年、三大映画祭すべてで監督賞を受賞しているポール・トーマス・アンダーソン監督の『ワン・バトル・アフター・アナザー』を映画祭に出品せずとも、アカデミー賞作品賞、監督賞、脚色賞などを受賞させた成功例が後押しした判断だろう。


第98回アカデミー賞作品賞にもノミネートされたNetflix配給の『トレイン・ドリームス』
第98回アカデミー賞作品賞にもノミネートされたNetflix配給の『トレイン・ドリームス』[c]Everett Collection/AFLO

一方、インディペンデント映画や国際映画にとって映画祭が生命線であることには変わりがない。昨年の映画祭発グローバルヒット作品でいうと、サンダンス映画祭の『トレイン・ドリームス』や『Sorry, Baby』、カンヌの『センチメンタル・バリュー』『シンプル・アクシデント/偶然』『シラート』、ヴェネチアの『ヒンド・ラジャブの声』など、多くの作品がアカデミー賞にノミネートされている。スタジオのように高額なマーケティング予算を持たない作品にとって、ベルリン・カンヌ・ヴェネチアの「批評的信頼性」と「グローバルな露出」は代替不可能だ。YouTubeへのオスカー移行が非英語圏の新しい観客を引き込む契機になれば、映画祭発の作品がオスカーへと続く道が、さらに広がる可能性もある。

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