押井守が熱弁する、デ・パルマのヘンタイ濃縮100%『殺しのドレス』のフェティッシュさ「“のぞき監督”と言ってもいい」【押井守連載「裏切り映画の愉しみ方」第8回後編】
「女装もヘンタイも含めてデ・パルマの本質が全部入っている」
――なるほど!で、押井さん、デ・パルマに話を戻すと、彼の映画でもっとも好きなのも『殺しのドレス』なんですか?
「断トツです。デ・パルマは視線の映画なの」
――「のぞき」が好きだからですね。
「そうです。“のぞき監督”と言ってもいい。そういう意味でも『殺しのドレス』は完成度が一番高く、大きな破綻もない。ディキンソンの息子の発明小僧が一生懸命つくっているのものぞき装置だし、ディキンソンがエレベーター内で殺されるシーンで、目撃者のナンシー・アレンが一瞬だけ鏡に映った犯人を見る。あれも一種の“のぞき”ですよ。徹底しているという点で私のポイントが高くなる。濃縮度が高く、濃縮100%のデ・パルマ映画。女装もヘンタイも含めてデ・パルマの本質が全部入っている。まさに好きなもので埋め尽くしているから、デ・パルマの本質そのものと言ってもいいと思う。彼のフェティッシュの塊みたいな映画ですよ。そういうなかで唯一、観客に対する裏切りがあったのが、ディキンソンのヌードのダブルだったということです」
――じゃあ押井さん、デ・パルマでもっともダメなのは?
「デ・パルマでもっともつまらなかったのは『アンタッチャブル』(87)だよ。(セルゲイ・)エイゼンシュタインの真似までやってるうえに、エリオット・ネス(ケビン・コスナー)が振り回しているガバ(コルト・ガバメント)はコピーだよ。スペイン製のスターというガバのコピー銃。なにが言いたいかというと、銃にいたるまでコピーだということです。珍なる作品です、私に言わせれば。
『殺しのドレス』はデ・パルマらしいヘンタイ映画だけど、筋は通ってる。女性に誘われると、自分のなかのもうひとりの女殺人鬼が目覚める二重人格の男の話としてちゃんと辻褄は合ってる。だからフェティッシュの塊だけど、ただのフェティッシュで終わってないの。そこがこの映画のバランスのいいところ。ほかの映画はヘンタイばかりだから。ヘンタイ映画には2通りある。フェティッシュだけどちゃんと理屈がついてる場合とフェティッシュだけの2つ」
――押井さん、“裏切り”と言えばデイヴィッド・リンチはどうなんです?『ロスト・ハイウェイ』(97)なんて、死刑を宣告され独房に入れられていた男がある日、別人になっていたり、常識を超えた裏切りがあると思いますが。次で最終回のこの連載、最後の1本でリンチはありなんじゃないですか?
「先日、観直した『ツイン・ピークス The Return』も、ローラ・パーマーが別人になっていた(笑)。とはいえ、私に言わせれば、リンチの映画には裏切りはないんです。なぜなら、ちゃんとロジックを貫徹しているから。それは夢の因果律のようなものなので、誰も理解できないだけ。彼にとっては確実にロジックはある。つまり、ヘンタイはヘンタイなりに筋が通っているように夢もそうなんです。夢には夢の脈絡があり、ちゃんと因果律が存在している。ただし、それはあまり認められてないし、そもそも誰も理解できない。だからこそリンチは最強の監督なんです。彼はホンモノの狂人。狂人は自分のなかにちゃんとロジックをもっているから最強ということです。
なので、この連載の最後を飾るのは、その映画のなかに裏切り行為があるというより、監督として、世間を裏切りたいという想いが伝わって来る映画にしますよ。この監督、映画ファンの間で人気高いんじゃないかな」
――誰の作品でしょう? 気になりますがラスト、よろしくお願いします!
取材・文/渡辺麻紀

