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  • 押井守が熱弁する、デ・パルマのヘンタイ濃縮100%『殺しのドレス』のフェティッシュさ「“のぞき監督”と言ってもいい」【押井守連載「裏切り映画の愉しみ方」第8回後編】
押井守が熱弁する、デ・パルマのヘンタイ濃縮100%『殺しのドレス』のフェティッシュさ「“のぞき監督”と言ってもいい」【押井守連載「裏切り映画の愉しみ方」第8回後編】

押井守が熱弁する、デ・パルマのヘンタイ濃縮100%『殺しのドレス』のフェティッシュさ「“のぞき監督”と言ってもいい」【押井守連載「裏切り映画の愉しみ方」第8回後編】

独自の世界観と作家性で世界中のファンを魅了し続ける映画監督・押井守が、Aだと思っていたら実はBやMやZだったという“映画の裏切り”を紐解いていく連載「裏切り映画の愉しみ方」。第8回前編では、ブライアン・デ・パルマ監督の『殺しのドレス』(80)で裏切られたというダブル(=代役)と“ボカシ”について熱弁していた押井監督だったが、後編ではこの“ボカシ”についてさらに分析していく。

「日本には“ボカシジャンル”というのがあると言ってもいいんじゃないの?」

――本作の裏切りポイントは、冒頭のアンジー・ディキンソンのシャワーシーンが、なんとダブルだった!という点です。一見、レベルが低い裏切りだと思ってしまいますが、押井さん的には映画ではよくある行為。取り上げるべき事案だということです。

「そうです。ダブルを使うというのは映画の世界だけにある特有のシステムと言ってもいい。とりわけ女優さんのヌードに関していえば、度々ある裏切りです」

押井監督が裏切られたと熱弁する、ディキンソンのシャワーシーン
押井監督が裏切られたと熱弁する、ディキンソンのシャワーシーン[c]EVERETT/AFLO

――『プリティ・ウーマン』(90)のジュリア・ロバーツの肌見せシーンの一部は代役だと当時、話題になってましたね。

「そういう例は枚挙に暇がないけれど、日本人的にはそこにもう一つの“裏切り”が加えられる。“ヘア問題”ですよ。局部をぼかすことで、その映画の解釈がまるで違うものになってしまうという。例で挙げたいのが『ぼくのエリ 200歳の少女』(08)。後半、アップになる少女の局部をボカシたことで映画の意図が伝わらなくなったじゃないの」


――あれはひどかったですね。私はボカシたバージョンだったので単なる女の子だと思い込んでいたら、実はそのボカシた箇所には、かつてその子が男の子だったことを表す名残がある――というものでした。

「意図的に(映画を)作り替えたと言ってもいいくらいだよ。同じスウェーデンの映画で驚くほど変わったトロールの話があったんだけど…あれも核心的部分に“ボカシ”が入っていて作者の意図が伝わりにくくなっている。なんって映画だっけ?」

――それは『ぼくのエリ』と同じ原作者(ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト)の短編を映画化した『ボーダー 二つの世界』(18)ですね。人間の世界に溶け込んで暮らしている2人のトロールのセックスシーンがぼけぼけだった。

「そう、だから“ボカシ”は本当に大問題。日本には“ボカシジャンル”というのがあると言ってもいいんじゃないの?いつかそれについて話したいですよ、私は!」

――ニール・ジョーダンの『クライング・ゲーム』(92)、憶えてます?主人公の男性が自分を好いてくれる女性と結ばれようとするシーン、なんとその女性の局部にはペニスがあって、実は男性だったことがわかる。主人公は吐くほど驚くんですが、この局部は当然、日本だとぼかされていた。だから、試写で観た何人かは「吐くほどひどい奇形だったんですか?」という反応。まるで映画の意図が伝わってないじゃないですか。困った配給会社はペニスがあることがわかるようにうっすらボカシたんですが、それでもわからない人がいたと聞いています。

「だから、やっぱり大問題なの!監督や製作者の意図と異なる解釈をされてしまう危険性が高くなっちゃうじゃない」

『クライング・ゲーム』での演技でアカデミー賞助演男優賞にノミネートもされたジェイ・デヴィッドソン
『クライング・ゲーム』での演技でアカデミー賞助演男優賞にノミネートもされたジェイ・デヴィッドソン[c]EVERETT/AFLO

――最近は、セックスシーンはぼかすけれど、そうじゃない裸だけのシーンはぼかさなくてもOKになったんじゃないですか? 

「でも、“ボカシ”というシステムは相変わらず残っている。だから、ボカシに関しては語る必要があるんですよ」

押井守連載「裏切り映画の愉しみ方」
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