『花緑青が明ける日に』で長編デビュー。四宮義俊監督に問う、AI時代に“あえて手描きでやる意味”
「いまの時代、あえて手描きでやる必要があるのか」
手仕事にこだわりながら、失われつつあるものの輝きを描き出した。長編アニメという大きな挑戦を果たすなかで、自身が追い求めたいものの輪郭が見えてきたという四宮監督は「“軋轢が生まれるところ”が、自分の持ち味なのかなと思いました」と自己分析。
「手間のかかる自然描写、車、花火の描写など、“いまの時代、あえて手描きでやる必要があるのか”という問いかけがたくさんある作品だと感じています。おそらくこれからAIに代替されていってしまうものが多くなると思いますが、そういった転換点にある時こそ、人の手の仕事が輝く瞬間なのではないかと思うんです。こういった時代だからこそ、手仕事にこだわる。手で描くこと、質感のあるものにこだわるということが、自分の持ち味なのかなと感じました」と熟考する。
日本画という伝統的な絵画の世界に身を置き、芸術を追求してきた四宮監督。“手仕事の持つ力”についてどのように感じているか尋ねてみると、「わからないですね。手仕事とAIとの区別がつかなくなってしまう時代が、すでに来ているのかもしれない」と前置きしながら、「ただ作り手にとっては、描いている喜び自体はあるわけで。それは人によっては伝わらないかもしれないけど、なにかを感じてくれる人もいるかもしれない。自分がこれまで得てきた感動というのも、結局はそこなのではないかと思っていて。AIを否定したいわけではなく、伝わるかわからないような微妙な喜び。それが人の心に残ったか、残らないかの勝負をしているということなのかなと感じています」と言葉に熱を宿らせる。
最後に、多感な時期において自身の心に残った映画について教えてもらった。四宮監督からは、山川直人監督の商業映画デビュー作で、三上博史、原田芳雄らが共演した『ビリィ・ザ・キッドの新しい夜明け』(86)という答えが返ってきた。
「中学生くらいの時に、テレビ神奈川で放送されていたものをたまたま観ていて。観ながら、なんだか大人への入り口を開き、新しい世界を教えてくれた気がしました。自分がこれから経験するであろうイニシエーションみたいなものを、事前に知らせてくれたという感じ。絵画やアニメ、映画もそうですが、ある意味、イニシエーションを描くものでもありますよね。今回の僕の映画も、誰かが生きていくうえでのイニシエーションの参考例になったらうれしいです。ものづくりにおいては、『いろいろな問題があっても、こうやって乗り越えてきたよね』という参考例を提示し続けていくことが大事なのかなと思っています」。
取材・文/成田おり枝

