『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』スゴ腕美術・衣装スタッフが明かす舞台裏「撮影初日を境にすべてが変わった」
――日本のシーンのためにどんなリサーチをして、どんな参考資料を使いましたか?
フィスク「屋外劇場に飾るグラフィックが一番重要だったと思います。当時の日本の卓球の試合の写真が主な参考資料になりました。あとは同時代の日本の映画館の装飾も少し取り入れ、できるだけ視覚的に魅力的にしました。日本の美術チームが常に新しいアイデアを提案してきてくれて楽しかったです。ジョシュの奥さん、サラのリサーチは本当に圧巻でした。常に資料を送ってきてくれて、彼女なしにはあれほど細部にこだわった映画は作れなかったでしょう。子育てをしながら、時間を惜しまず資料を探し続けて、どんな場面でも私たちの期待を上回るものを届けてくれました。
ローレンスのテーブルテニスクラブの間取り図まで探し出してくれました。建物はとっくに取り壊されていたんですが、市が記録を保管していて、それを掘り起こしてくれたんです。撮影では結果的に別の建物を使うことになりましたが、元の配置を正確に把握できた。加えて、50年代の『LOOK』誌の写真からも多くのヒントを得ました。しかもサラはニューヨークの図書館に行って、自分で写真をスキャンしていたんです。だから解像度が非常に高くて、どこまでも拡大できる。ネットで見つけた画像と違って、ズームしてもズームしても細部がくっきり見えてくる。そういう資料を揃えてくれていました」
ベリッツィ「信じられないほどの解像度でしたね。サラはいつもすべての答えを持っていた。卓球のすごく細かい質問でも、ランダムな国のユニフォームに関することでも、どの部門からの疑問にも応えてくれました。
フィスク「ニューヨーク、オーチャード・ストリートにはテネメント博物館があって、1938年に空き家になったテネメント(移民街の集合住宅)がそのまま保存されています。その建物の中に入って、質感、部屋の大きさ、リノリウムの床、壁紙を時間をかけて見て回りました。美術チームにとって本当に宝のような場所でした。設定は50年代でしたが、1938年からそれほど変わっていないので、参考として十分でした」
「360度どこを見渡しても、1952年じゃないと感じさせるものがなにもない状態を目指した」(ウィリス)
――長年この業界でご活躍されていますが、常に向上し続け、目標を追い続けるモチベーションはどこから来るんですか?
フィスク「どんな作品でも、『これは不可能だ』と思えることを探して、それに挑戦することが私を奮い立たせてくれます。問題を解決するのが好きなんです」
――俳優の最高の演技を引き出し、キャラクターを共に作り上げる美術、衣装という役割をどのように捉えていますか?
ベリッツィ「とても大きな役割だと感じています。大抵、キャスティングが決まった直後に俳優が最初に会うのが衣装部です。フィッティングのあとは、監督に『調子はどうでした?彼らは役にどう向き合っていましたか?』と質問します。それが自然と自分の役割の一部になっています。一緒にいる時間の中でキャラクターを作り上げていく感じで、何度か会って少しずつつかめてくる場合もあれば、一回でピタッとはまることもある。
例えばティモシーにしても、彼なりのキャラクター観を持っていて、私には私の解釈があって、ジョシュにはジョシュのビジョンがある。それが一堂に会し、実際にティモシーと顔を合わせてから、ジョシュと私がフィードバックを共有して、またジョシュとティモシーが写真を見ながら話し合って、それを私に伝え——その積み重ねが、現場でのすべての選択として結実していくんです」
フィスク「『マーティ・シュプリーム』の脚本はセリフが90%で、それ以外はほぼ書かれていませんでした。そのキャラクターのためにクローゼットや家の内側から作り上げていくところから、私とアダムはいつも始めます。衣装も同じですよね。キャラクターを深く読み込むことがデザインにつながって、そのデザインが俳優を助け、観客に『本物のキャラクターだ』と信じさせる。本当にすばらしい仕事の仕方だと思います。映画の仕事が好きなのは、ひとりで部屋に閉じこもって作業するのではなく、才能ある人たちの大軍と一緒に働けるから。それがうまく機能して、全員が100%を出し切った時、本当に楽しくなるんです」
ウィリス「私にとっては一種のマジックのトリックのようなもので、俳優に対してそのマジックを演じている感覚があります。どこまでやり込むか、世界をどれだけ信憑性あるものにできるか。俳優がセットに入ってきた時、『自分はなんか場違いな場所にいるんじゃないか』とでも言わんばかりに、完全に面食らう、そういう状態を作りたいんです。
だから今作で私にとっていちばん重要だったのは、まず靴屋と、彼が戻ってきてから歩くあのメインの通りを、匂いがするくらいの場所に仕上げること。360度どこを見渡しても、1952年じゃないと感じさせるものがなにもない、そういう状態を目指しました。靴屋でも同じで、天井の隅々まで、床のゴミ箱の中まで、できる限り細部を詰めておく。そうすると俳優はキャラクターのために積み上げてきた準備を使うだけでよくなって、あとは自然に動けるんです」
ベリッツィ「撮影初日のセットは本当に特別でした。初日の最初のシーンはロウアー・イースト・サイドのオーチャード・ストリートで、しかもそこが1950年代に見えていた。信じられなかったです。舞台の上にいるみたい、と思いました」
フィスク「みんなそれぞれ頭の中で、自分たちが作っている映画のイメージを持っているけれど、それが必ずしも同じとは限らない。でも、靴屋の初日にその現実が目の前に現れて、ティモシーの衣装や動きを見た時、突然全員の認識が一致した瞬間がありました。『あ、これが私たちが作っている映画だ』と。そこからは、その勢いとクオリティを維持するために一生懸命仕事をするだけです。
ベリッツィ「あの初日がすべてを変えましたね。なぜかはわからないんですが、あの日を境に『これは本物だ。本気でやっている』と確信しました。全員の目線が揃っていて、しかも実際にうまくいっていることに心から安堵しました。
ウィリス「セットがあまりにもリアルで、スタッフが本物の照明スイッチを探して灯りをつけようとする、なんてことが起きたりして(笑)。それが一番の褒め言葉ですよね」
取材・文/平井伊都子
