『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』スゴ腕美術・衣装スタッフが明かす舞台裏「撮影初日を境にすべてが変わった」

『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』スゴ腕美術・衣装スタッフが明かす舞台裏「撮影初日を境にすべてが変わった」

「この数年で最も多くの時間を費やしたのは世界全体のリサーチでした」(ベリッツィ)

――ミヤコさん、この映画には、異なる文化、異なる時代の人々が数百人、ひょっとすると数千人分登場します。彼らの衣装を揃えなければならない時に、一体どこから手をつけるんでしょうか?ティモシーのキャラクターから考えるのか、全体の規模から考えるのか、最初に取り組むのはなんですか?

まずは時代への理解を深めたうえで衣装を考えていったというベリッツィ
まずは時代への理解を深めたうえで衣装を考えていったというベリッツィ[c]Courtesy of A24

ベリッツィ「キャラクターについて考える時は、まずティモシーが演じたマーティから入りました。でも実は、この作品に関して、この数年で最も多くの時間を費やしたのは世界全体のリサーチでした。あの時代になにが起きていたかを深く理解したうえで、その中の様々な世界をどう差別化するか、私にはそのプロセスが重要でした。知識のベースがあって初めて、マーティがなにを着ているかを解読できる。それは最後のステップで、まずマーティに影響を与えた要素、当時なにが起きていたか、彼が見ていたもの、彼はなにに刺激を受けていたのか、彼はどこに住んでいたのか、誰と過ごしていたのか…そういったものを深く理解することから始めました」

――もともと卓球についてはなにも知らなかったとおっしゃっていましたが、どうやってその世界を掘り下げていったんですか?50年代の卓球の世界を学ぶために参照したのはどんな資料ですか?

イベントでは、マーティとエンドウの衣装も展示されていた
イベントでは、マーティとエンドウの衣装も展示されていた[c]Courtesy of A24

ベリッツィ「リサーチ資料はたくさんありました。ジョシュの奥さんのサラ(・ロセイン、エグゼクティブプロデューサー・リサーチャー)が、この世界について膨大なリサーチをしてくださっていたんです。卓球に関する画像など、私たちは同じリサーチ資料を共有できたので、本当に助かりました。外観についてのリサーチもありましたし、ショーウィンドウの前に人が映っていたりするので、住まいのことも知りたくなりました。例えばジョシュがロウアー・イースト・サイドのある部屋の台所の写真を送ってきて、そこで人々が食卓を囲んでいたりする。そういうところでジャックと私のリサーチも重なっていたんですよね」

フィスク「ジョシュとサラがこの映画に関するリサーチをすべてまとめて一冊の本にして、撮影スタッフ全員に配ってくれたんです。それは本当にすばらしかった。全員が目指すものを共有できましたから。いままで、一度もそんな経験はなかったと思います。普通、本は映画の完成後に作るものですから」

――映画のビジュアルデザインはとても精巧でした。お三方の間だけでなく、撮影監督との連携も含めて、コラボレーションはどれほど重要でしたか?皆さんはどのくらい互いに話し合い、情報を共有していたんでしょうか?

写真右から本作の監督ジョシュ・サフディと撮影監督のダリウス・コンジ
写真右から本作の監督ジョシュ・サフディと撮影監督のダリウス・コンジ[c]Everett Collection/AFLO

ベリッツィ「私が特に印象に残っているのは、撮影監督のダリウス・コンジと照明部のスタッフが衣装のフィッティングスペースに来て、そこに特別な照明ボックスを設置してくれたことです。フィッティング中の照明が、実際のセットと同じ条件になるように。こんなことは本当に稀で、これまで経験したことがありませんでした。過去の作品で、特に印象に残っている場面があって…アダム・サンドラーが格闘するシーンで、ネオンオレンジのスウェットシャツが彼の顔を照らしていました。衣装と青い照明の組み合わせになにか特別なものがあって、その瞬間から撮影チームとのやりとりがいっきに密になりました。フィッティングを行うトラックに照明をセットしてもらったことをいまでも鮮明に覚えています。以来、ダリウスともとてもよく話すようになりました」

ベリッツィは『アンカット・ダイヤモンド』『グッド・タイム』などサフディ兄弟の過去作にも参加している
ベリッツィは『アンカット・ダイヤモンド』『グッド・タイム』などサフディ兄弟の過去作にも参加している[c]Everett Collection/AFLO

「『ゴジラ-1.0』を製作した東宝スタジオで(撮影を)行ったんですが、それがとても嬉しかった」(フィスク)

――日本でのロケについて聞かせてください。日本のクルーとの仕事はどんな経験でしたか?

ベリッツィ「日本での撮影は映画のラストシーンで、スケジュール的にも一番最後でした。クリスマス休暇を挟んで、それから日本へ向かい、数週間滞在しました」

フィスク「撮影は、撮影当時ちょうど北米で公開されたばかりの『ゴジラ-1.0』を製作したスタジオ(東宝スタジオ)で行ったんですが、それがとてもうれしくて(笑)。アカデミー賞の授賞式でよく耳にした作品のスタジオを歩いているわけですから!」

東宝スタジオでの撮影を興奮気味に語るフィスク
東宝スタジオでの撮影を興奮気味に語るフィスク[c]Courtesy of A24

ベリッツィ「日本のクルーは本当に優秀でした。私は、『日本だから衣装は楽勝でしょ。50年代の服ならいくらでも見つかるはず』という思い込みがあったんです。でも実際は全然違っていて。1000人分の時代考証に合った衣装を見つけるのが、最大の課題でした。ヴィンテージショップを一軒一軒回るわけにもいかないので、たくさんの衣装を持ち込みました。舞台の大半が屋外劇場なので、衣装がその世界を作り上げる役割を大きく担っています。だから、本物らしさへのこだわりはなんとしても守りたかった。そしてなにより、できるだけ日本人の方をエキストラとして起用したかった。米軍関係者は除いて、観客の大多数は日本人として映るようにしたかったんです。

ティモシーの衣装はニューヨークで仕立てたメルトンコートを数着選んで持っていきました。エキストラの衣装については、スタジオをお借りした東宝にとてもお世話になりました。東宝は日本最大手のプロダクションで、衣装レンタルもあったんですが、時代考証的にぴったり合うものばかりではなく、そこが課題でした。持参したものとレンタルにあるものをうまく組み合わせながら、できる限り時代に忠実に仕上げていく作業でした。例えば、ピンクのシャツを着た“エンドウ・ガールズ”のユニフォームは日本で縫製しています。


マーティが身に纏うメルトンコートはニューヨークで仕立てられた
マーティが身に纏うメルトンコートはニューヨークで仕立てられた[c]Courtesy of A24

着物の割合にも気を配って、男女合わせて約35%を伝統的な着物姿にして、残りは洋装にしました。戦後の日本、特に東京の時代の変化を描きたかったんです。軍服も多く登場しますが、あの時期、終戦からおよそ10年後にも、日本に依然として重い軍事的な存在感があったことを示したかった。軍人の衣装は約40人分ありました。様々な要素を組み合わせた、複合的なアプローチをとっています」

フィスク「スタジオ側は最初、アメリカで撮影しようとしていました。バスで日本人エキストラを3時間かけて撮影場所まで運ぶ計画で、でも最大50人しか乗れないと。それではジョシュが納得しないということになり、『アメリカでの撮影が全部終わったら日本で撮影しましょう』という話になり、それがスタッフ・キャストの大きな励みになりました。エキストラの方々についてひとつ言えるとすれば、毎日5℃程度の気温の中で一日中座っていたのに、一度も文句を言っていませんでした。頭が下がります」

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