『しあわせな選択』はしあわせな結末をもたらしたか?パク・チャヌク監督最新作にみる、愚行に滲む哀れ【小説家・榎本憲男の炉前散語】

『しあわせな選択』はしあわせな結末をもたらしたか?パク・チャヌク監督最新作にみる、愚行に滲む哀れ【小説家・榎本憲男の炉前散語】

『しあわせな選択』の主人公と重なる「ブレイキング・バッド」ウォルター・ホワイト

肺ガンになったことをきっかけにドラッグ作りに手を染める「ブレイキング・バッド」の主人公ウォルター・ホワイト
肺ガンになったことをきっかけにドラッグ作りに手を染める「ブレイキング・バッド」の主人公ウォルター・ホワイト[c]Everett Collection/AFLO

こんな私は本来の私ではない、という動機で、半ば社会に復讐するように犯罪を犯す主人公として思い出されるのは、「ブレイキング・バッド」のウォルター・ホワイト(ブライアン・クランストン)でしょう。彼は高校の化学教師でありながら、化学の知見を活かして極めて純度の高い違法薬物「ブルー・メス」を製造し売りさばく。このとんでもない犯罪は、治療費を調達するためだ、家族のためだ、とシリーズの当初は説明されていたのですが、いつしかその問題は消え、では、金が欲しいのかというと、手にした金の隠し場所にも困るほどになっているのに豪遊するわけでもなく、ひたすら製造を大がかりなものにしていくのです。

主人公をこのような愚行に走らせる欲望は、シリーズの大詰めになってようやく主人公の口から語られます。彼の犯罪を知った妻が、「どうせ、家族のためだったと言うのね」となじると、彼はこう答えるのです。

「自分のためにやったんだ。……好んでやったことだ。……俺にはそれをやる才能があったんだ。そして、俺は生きているという実感を得たんだ」(I did it for me. I liked it. I was good at it. I was really, I was alive)。

妻に積年の思いを打ち合けるウォルター(「ブレイキング・バッド」)
妻に積年の思いを打ち合けるウォルター(「ブレイキング・バッド」)[c]Everett Collection/AFLO

そこには、優秀な化学者でありながら、地方の高校教師として朽ちたくはないという思いが滲んでいます。

本当に“しかたがなかった”のか

自己像というものは誰もが持っているものです。それが脅かされるとき人はそれを必死で守ろうとする。西洋的な近代人は自己像と現実的な自己との一致を求めます。そして、それが「自己実現」などという言葉で語られたりもします。けれど、果たしてそれはそれほど自明なものでしょうか?

娘の思わぬ才能に驚かされるマンス夫妻
娘の思わぬ才能に驚かされるマンス夫妻[c]2025 CJ ENM Co., Ltd., MOHO FILM ALL RIGHTS RESERVED

ここで、東洋哲学の入門書「ハーバードの人生が変わる東洋哲学 ―悩めるエリートを熱狂させた超人気講義―」(マイケル・ピュエット&クリスティーン・グロス=ロー)を紐解いていきましょう。邦題は、ちょっとどうかと思うくらい安っぽいタイトルが付いていますが、原題は「The Path」、内容は非常に充実しています。この本の中に、<「本当の自分」を探してはいけない>という章がありますので、以下、引用してみましょう。
 
「(前略)「本当の自分」という考え方を手放さなければならない。(略)わたしたちは自己啓発本を読み、瞑想し、日記をつけ、自己診断して自分にレッテルをはる。(略)このようなレッテルづけは子ども時代にはじまっている。(略)その結果、あまりに多くの人が、ある日ふと気づくと、狭義に限定した自己に閉じ込められていたということになる。(略)西洋人が真の自分と定義しているものは、実際には人や世界に対する連続した反応のパターンにすぎず、ときとともに蓄積されたものだ」

そして、孔子の「礼」を参照しつつ、著者はこのような処方を提示します。

「人は自分自身を単一の統一されたものととらえ、内省によってそのような自己を見いだそうとするが、そう考えるかわりに、さまざまな感情や性向や願望や特徴がごちゃまぜになっていて、いつも違う方向や正反対の方向へ引っ張られている存在ととらえることもできる。自分をそのようにとらえれば、自己は鍛えようのあるものになる。(略)未熟で感情的な反応に引きずられるのではなく、ゆっくり時間をかけてもっと建設的なふるまい方を自分のものにしていけばいい。きみは自分ですら気づいていなかった一面を少しずつ開拓し、よりよい人間へと成長しはじめる」(同著より)

なるほど。ごもっともです。けれども、映画や文芸は孔子のような賢者よりも、愚かな近代人の気の迷いを描くことを好みます。パク・チャヌク監督作では、法を踏み越えるものは根っからの悪党ではない。私たちとよく似た顔つきの隣人です。パク・チャヌクは愚行に滲む哀れを描こうとしていると言えるでしょう。

【写真を見る】『しあわせな選択』のラストいおいて、マンスは果たして「しあわせ」だったのか
【写真を見る】『しあわせな選択』のラストいおいて、マンスは果たして「しあわせ」だったのか[c]Everett Collection/AFLO

しあわせな選択』でのラストシーンは、主人公の選択は果たしてしあわせをもたらしたのか、原題に沿って言えば、本当にしかたがなかったのか、の判断を観客に委ねます。そして、観客の反応は二分することになるでしょう。そのような戸惑いを誘発する問いを発することが監督の狙いだったのだと僕は信じています。この映画の問いはスクリーンの中では終わらない。映画館を出た後、観客はみな自分の「しかたがない」が本当にそうなのかと考え続けていくのです。


文/榎本 憲男

■榎本憲男 プロフィール
1959年生まれ、和歌山県出身。小説家、映画監督、脚本家、元銀座テアトル西友・テアトル新宿支配人。2011年に小説家、映画監督としてデビュー。近著には、「アガラ」(朝日新聞出版)、「サイケデリック・マウンテン」(早川書房)、「エアー3.0」(小学館)などがある。「エアー2.0」では、第18回大藪春彦賞の候補に選ばれた。映画『カメラを止めるな!』(17)では、シナリオ指導として作品に携わっている。


小説家・榎本憲男の炉前散語
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