『しあわせな選択』はしあわせな結末をもたらしたか?パク・チャヌク監督最新作にみる、愚行に滲む哀れ【小説家・榎本憲男の炉前散語】

『しあわせな選択』はしあわせな結末をもたらしたか?パク・チャヌク監督最新作にみる、愚行に滲む哀れ【小説家・榎本憲男の炉前散語】

さて、本作品の韓国語の原題を直訳すると「どうしようもない」または「そうするしかない」になるようです。英語タイトルは“No Other Choice”なので、これは韓国語の原題にかなり近い。そして邦題は、このChoiceを引き継いで『しあわせな選択』という思い切ったものになっています。このタイトルを目にしたときには「あまりインパクトがないなあ」などと思ってしまったのですが、鑑賞後には、実にアイロニカルでジワジワとくる絶妙なタイトルだと感じ入りました。

自分が再就職したいから、ライバルを殺す、これが主人公の選択であり、メインプロットを駆動する欲望です。では、観客はこの欲望とどう向き合えばいいのでしょう。殺人は無論悪いことです。それを、まあ「しかたがない」と観客が思う可能性のあるものとしておもいつくのは、理不尽に痛めつけられた被害者が復讐を果たそうとするくらいのものでしょう。

監禁生活から抜けだした男の復讐を描く『オールド・ボーイ』
監禁生活から抜けだした男の復讐を描く『オールド・ボーイ』[c]Everett Collection/AFLO

パク・チャヌクにとっては復讐は重要なモチーフでした。『復讐者に憐れみを』(02)『オールド・ボーイ』(03)『親切なクムジャさん』(05)は、「復讐三部作」と呼ばれています。そして、パク・チャヌクが描く復讐は、する側とされる側が奇妙に反転しつつよじれていく(悪行によって被害を蒙った被害者が悪党に私的な制裁を加えるという単純な形にはならない)のが興味深いのですが、それはまた別の機会にお話ししたいと思います。

固定観念にとらわれた人間に滲む哀れ

解雇されてもなお、マンスは製紙会社へのこだわりを捨てることはなかった
解雇されてもなお、マンスは製紙会社へのこだわりを捨てることはなかった[c]Everett Collection/AFLO

しかし、『しあわせな選択』ではすこし事情が異なります。理不尽な解雇の憂き目にあった主人公を被害者であるということはできるし、その背後に暴走する資本主義やAIが人間の仕事を奪いつつある現代社会を読み解くことも可能でしょう。では、彼はどこに「復讐」するべきなのか。それが自分を解雇した企業にであるとすれば話は簡単です。しかし、彼は自分を否定した企業(同業他社を含む)に戻りたいと思っているわけですから、話はここでややこしくなります。なぜ、自分を切り捨てた側に自分を認めさせたいのか。それは、25年間製紙会社で働いていた彼は「パルプマン」としての矜持を持っているからであり、自分にふさわしい仕事は紙の製造しかないと信じているからです。

このような主人公の鏡像のような人物がいます。それは殺害予定リストの中にあるク・ボムモ(イ・ソンミン)です。ボムモも解雇の憂き目に遭っているのですが、経済的に逼迫しているわけではありません。おそらく奥さんが資産家の娘なのでしょう、製紙会社にこだわらなくていいじゃないの、あなたはオーディオ好きなんだから、それを置いてカフェでもやれば、と薦めたりもしてくれます。にもかかわらず、紙の仕事を天職だと信じる彼はこの助言に耳を貸そうとはしません。境遇にちがいはありますが、自分はパルプマンでなければいけないと信じているという心理的状況は同じです。なので、これが主人公になにがしかの共感を生じさせたのか、殺害対象である彼を救済するような矛盾に満ちた行動を取ったりもするのです。このへんが、パク・チャヌク監督と感じました。


『ソウルの春』『対外秘』などの作品への出演でも知られるベテラン俳優イ・ソンミン
『ソウルの春』『対外秘』などの作品への出演でも知られるベテラン俳優イ・ソンミン[c]2025 CJ ENM Co., Ltd., MOHO FILM ALL RIGHTS RESERVED

さて、ここでこのストーリーにひとつの問いを発したいと思います。パルプマンでありたい、パルプマンであるためには殺人も辞さない、という欲望が湧き上がってくる源泉はどこか? これにはいく通りもの答えがあることでしょう。以下に述べるのはその中の一つにしか過ぎないことをお断りした上で、僕なりの答えを提示したいと思います。それは、主人公たちが自分の自己像を固定してしまっているところから生じているのです。私はこういう人間である、私にふさわしい職はこれだけだ、という固定観念です。そんな思いに駆られるあまり殺人まで犯す、そんな人間に滲む哀れを描くことが本作の表現の核心ではないでしょうか。

■榎本憲男 プロフィール
1959年生まれ、和歌山県出身。小説家、映画監督、脚本家、元銀座テアトル西友・テアトル新宿支配人。2011年に小説家、映画監督としてデビュー。近著には、「アガラ」(朝日新聞出版)、「サイケデリック・マウンテン」(早川書房)、「エアー3.0」(小学館)などがある。「エアー2.0」では、第18回大藪春彦賞の候補に選ばれた。映画『カメラを止めるな!』(17)では、シナリオ指導として作品に携わっている。


小説家・榎本憲男の炉前散語
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