『ウォーフェア』と『シビル・ウォー』…比較によって導かれるアレックス・ガーランドの特性と映画の可能性

コラム

『ウォーフェア』と『シビル・ウォー』…比較によって導かれるアレックス・ガーランドの特性と映画の可能性

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登場人物たちの役割と動機、テーマがストーリーを通じて明確にされる『シビル・ウォー アメリカ最後の日』

ひるがえって『シビル・ウォー』は、近未来のアメリカで内戦が勃発しているという設定のもと、戦場を取材するジャーナリストたちの移動を描いた作品だ。大統領へのインタビューを目的に、崩壊しつつあるワシントンD.C.を目指すロードムービー的構造を取り、登場人物たちには明確な役割と動機が与えられている。そこでは政治的分断や暴力の正当化、メディアの倫理といったテーマがストーリーを通じて提示される。

内戦が勃発したアメリカを取材するジャーナリストたちの移動を描く『シビル・ウォー アメリカ最後の日』
内戦が勃発したアメリカを取材するジャーナリストたちの移動を描く『シビル・ウォー アメリカ最後の日』[c]Everett Collection/AFLO

アレックス・ガーランドの作家性によって結びつく『ウォーフェア』と『シビル・ウォー』

ただし同作は、あくまでフィクションとして設計された現代社会への警鐘だ。それに対して『ウォーフェア』は、事実に依拠した状況の再現に重きが置かれ、戦場に立たされた時に我々はなにを目撃し、どのような感覚にさらされるのかをダイレクトに問いかける。

寓話性を帯びたディストピア的戦争映画へと舵を切っている(『シビル・ウォー アメリカ最後の日』)
寓話性を帯びたディストピア的戦争映画へと舵を切っている(『シビル・ウォー アメリカ最後の日』)[c]Everett Collection/AFLO


だがこうして見ると、両作は極めて対照的でありながら、制御不能な状況に置かれた人間を描くという一点のもと、ガーランドの作家性によって結びついていることがわかる。『シビル・ウォー』は物語と寓話を通じて世界を再考させ、『ウォーフェア』は物語を超え、戦争そのものを体感させる。その変動幅を比較することで、アレックス・ガーランドというクリエイターの特性と、映画の持つ可能性が明確に浮かび上がってくるのである。

文/尾崎一男

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