マイケル・キートンが監督・主演・製作を兼任した『殺し屋のプロット』を語る「俳優としての自分を犠牲にせず、あらゆる方面に“フェアでいること”が重要」
「時系列で撮影をしていないから、流れを表現するのは本当に難しかったです。自分でも感心しますよ(笑)」
タイトな撮影期間ですべてを終わらせるために、小さな行き違いが大ごとになってしまう。すべてのスケジュールが狂ってしまうからだ。それゆえにキートンは、本作を“ジェンガ・ムービー”と呼ぶ。大事な部分が抜け落ちたら全部が崩壊してしまう、あの積み木のゲームに例えたのだ。その短い撮影期間で、監督、プロデューサー、主演俳優の三役をこなしたキートンは、かなりのハードワークが要求されたに違いない。自身のなかで、どのような役割分担で現場に臨んでいたのだろうか。
「三役を兼任するのは、思ったほど大変ではなかったですよ。まずプロデューサーとしては、どこにどれだけ予算を使うのか。その判断と調整をするわけです。限られた撮影時間のなかで一定のクオリティを保つためには、ただなにかを削ればいいのではなく、バランス感覚が重要です。時間を気にして撮影を急ぎすぎると、俳優は『もうちょっと、ちゃんと演技をすればよかった』と感じるかもしれません。今回は監督の立場から他の俳優を演出したため、自分の演技にかける時間は後回しにしてしまったかも。そのように俳優としての自分を犠牲にするのも本末転倒なので、そこでもバランスを忘れないように心掛けていました。あらゆる方面に“フェアでいること”が重要なんです」
この『殺し屋のプロット』で、俳優としてのキートンの真価が発揮されるのは、主人公ノックスが徐々に記憶を失っていくプロセスかもしれない。この点に関して、キートンは演じる側としての苦心もあったという。
「その流れを表現するのは本当に難しかったです。なぜなら時系列で撮影をしていないからです。先ほど話したように、短期間の撮影でロケ地をまとめる必要もあり、ある程度、記憶が残っているシーンを撮った翌日に、記憶をかなり失った段階を演じたり…と。そのあたり、自分でもどう乗り切ったのか覚えていないですね。“この時点では、これくらいの記憶”と頭に組み込んで挑んでいるのですが、それをどうやって出し入れしていたのか。自分でも感心しますよ(笑)」
殺し屋映画ではなく、人間関係が中心だという本作の最大のポイントが、ノックスと、16年間も疎遠だった息子との複雑な絆。劇中でキートンのノックスと、ジェームズ・マースデン演じる息子のマイルズがダイナーで話すシーンは、父子のドラマの見せ場となっているので、監督として、そしてノックス役の俳優として、どんな心構えで挑んだのか聞いておきたい。
「あのシーンは僕自身も大好きですね。ジェームズが完璧な演技をみせてくれたので、それを横で眺めているだけでうれしかったのを覚えています。一方で自分はノックスをうまく演じなければという感覚もあり、その2つで脳内が分断されていた気もします(笑)。あのシーンでは、ノックスがこれまで生きてきた過酷な人生を振り返り、自分とは別の世界を生きてきた息子に、厳しい教訓を与える必要がありました。息子が直面する現実に対し、殺し屋の仕事がいかにタフなのか、父親として息子の後始末でどう助けるかを語り、それでも真実は変えることはできないと諭すわけですから」
共演者といえば、アル・パチーノの話も聞いておきたい。元陸軍偵察部隊のノックスを殺し屋稼業に誘い、長年の信頼関係を続けているゼイヴィアは、病に苦しむノックスに的確なアドバイスを与える。キートンと、セイヴィア役のパチーノの共演シーンは、映画ファンにも至福の時間になるだろう。
「アルとの共演は、予想した以上にすばらしい経験でした。以前から彼とは知り合いだったものの、本作での共演をきっかけに、さらに親しい友人になれたのです。アルが私に信頼を寄せ、私も彼を信頼する。そのような関係性でしたね。今回は、まずキャラクターについてアルと細かく話し合ったあとで、それを一回、すべて忘れようと取り決めました。実際に演技をする際は、頭を無の状態にしてリアルな感情に身を任せ、キャラクターにストーリーを語らせる方法をとったのです。時としてアルは、過剰に演じてしまうことでも知られています。今回は逆に、シンプルに演技にアプローチし、自然にストーリーを語ろうという提案に、アルも賛同してくれました。その結果、バランスのいい演技が完成されたのではないでしょうか」
最高の共演者たちと生み出されたケミストリーも『殺し屋のプロット』の魅力だが、それを引き出したのは“監督”マイケル・キートンの手腕。その洗練された才能を、ぜひスクリーンで確認してほしい。
取材・文/斉藤博昭
