間違いなく“史上最悪のパラドックス”だ…タイムリープ映画の常識を変える『リライト』の魅力を、映画ファンに伝えたい!
2012年の刊行当時、帯に書かれた“SF史上最悪のパラドックス”というキャッチーなフレーズが話題をさらった法条遥の同名小説を実写映画化した『リライト』(6月13日公開)。いわゆる“青春タイムリープもの”の定説を覆した原作の斬新な切り口を活かしながら、そこにノスタルジックな爽やかさを付与した本作は、すでに大人になった誰もが“あのころ”を思い起こさずにはいられない王道の青春映画へと進化を遂げている。
この“時間のパズル”が緻密に組み込まれているゆえに、もちろんネタバレ厳禁!な作品となっているのだが、少しでもこの魅力を映画ファンに届けたい…。そこで本稿ではネタバレをギリギリ回避した範囲で推しポイントを解説!<タイムリープ×青春ミステリ>が表す意味に迫っていきたい。
“青春タイムリープもの”だと思って観ていたら、冒頭20分で終わっちゃう!?
高校3年生の夏、美雪(池田エライザ)のクラスに転校生の保彦(阿達慶)がやってくる。ふとしたきっかけで、彼がある小説を読んでこの時代に憧れを抱きタイムリープしてきた未来人であると知った美雪。2人は秘密を分け合いながら、ひと夏の恋に落ちる。しかし程なくして、保彦は未来へと帰ってしまう。
もしこれが、よくあるタイプの“青春タイムリープもの”だったならば、この後に後日談が少し描かれるだけで一本の映画として成立していただろう。けれども、この淡い恋模様は冒頭わずか20分で描かれる、ほんのプロローグに過ぎない。本当の物語はそれから10年後、“時間のループ”というタイムリープものには欠かすことのできない歯車が乱れることから始まっていく。
保彦が未来へ帰る直前の7月21日、美雪は保彦からもらったタイムリープの薬で10年後の世界へと渡り、大人になった自分自身と対面する。そこで教えられたのは、未来の世界で保彦が読み、過去に来るきっかけとなった小説を、美雪自身が書くということだった。元の時代へ戻ってきた美雪は保彦との別れ際、彼と過ごしたひと夏の経験を小説にすることを約束する。
そして10年後、なんとか小説家になって約束通り保彦との日々を綴った「少女は時を翔けた」の出版にこぎつけた美雪は、10年前からタイムリープしてくる自分に会うため実家を訪れる。ところが待てど暮らせど10年前の美雪は現れない。いったいなにが起こったのか…!?
この展開は予想できない…“史上最悪のパラドックス”がすごすぎる
過去を変えれば自ずと未来が変わる。“(タイム)パラドックス”と呼ばれるこの現象は、古くからタイムリープ/タイムトラベルを題材にした作品において鉄板のシチュエーション。例えば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85)では主人公のマーティが若き日の両親と遭遇したことで、自分の存在が消えてしまうパラドックスに陥りそうになるし、逆にパラドックスを利用して未来に起こる不幸な出来事を変えようとする『ファーストキス 1ST KISS』(公開中)のような作品も数多く存在している。
そのようにパラドックスの“事の重大さ”は概ねタイムリープをする人物の視点を通して示されることが常ではあるが、『リライト』の場合は異なる。パラドックスが発生しないよう予定通りの未来にするため行動した結果、まったく予定にない事態(=パラドックス)に陥ってしまうのだ。10年越しに答え合わせをしたところで、不正解になってももう取り返すことはできない。なぜそんなことになってしまったのか、その“史上最悪のパラドックス”が発生した理由こそが本作の肝の部分といえよう。
原作はホラー作家としてデビューした法条の作品だけあって、複雑に入り組んだ物語の節々に悪意がにじみ出て、終盤の伏線回収を経ても妙な不安に苛まれる毒性が強い“バッドエンド版『時をかける少女』”とも呼ばれた一作だった。冒頭でも述べたように、映画版ではそれがよりライトな青春SFへと様変わりしているわけだが、原作の持つ構造上の魅力は一切損なわれていない。それどころか、難解な構造が映像として可視化されることでコミカルさが生まれ、より間口の広い作品に仕上がっているのだ。
なかでも映画ファンの心を掴むのは、全編を通して“青春タイムリープもの”の定番といえる大林宣彦監督の名作『時をかける少女』(83)へのオマージュが全開になっている点であろう。同作と同じ広島県尾道市でオールロケが敢行され、“土曜日の実験室”を想起させる放課後の図書室のシーンの雰囲気、そしてもちろん原作にも登場していた“ラベンダーの香り”など、非常にわかりやすいかたちで寄せていく。まるで“バッドエンド版『時をかける少女』”だった原作を意識的に覆そうとしているかのような巧妙な“リライト”が施されたのだ。